2015年4月23日木曜日

産湯稲荷神社-大阪市天王寺区(2015.04.19)

■産湯稲荷神社
大阪府大阪市天王寺区小橋町3-1
06-6767-2359
※2015.04.19撮影

◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
































創建年代は定かではないが、比売許曽神社(※)の旧境内地であり、大小橋命(オホオバセノミコト)の産湯の井戸の付近にあって産湯稲荷(うぶゆいなり)神社と称せられ比売許曽神社の摂社であったのを、天正年間に織田信長が石山本願寺を攻めたときの兵火によりことごとく鳥有に帰し、比売許曽神社は境外摂社であった牛頭天王社を現在の社地に遷し奉ったが、後年当神社の旧知に再び奉祀せられた。寛政8年出版の摂津名所図絵に、この建物を押絵に記載されているので、寛政以前の建造であることは明らかである。これらの社殿、社務所は第二次世界大戦の戦災により焼失し、戦後の混乱期の昭和23年、篤志の寄進によって社殿が建立されたが、大阪市の都市計画により境内隣接地に公園が建設せられ周辺の様相が一変したのを機会に産湯稲荷神社復興委員会(昭和38年9月)が設立し、翌年7月に新社殿、社務所が竣工するとともに境内地も整備された。

この産湯稲荷は俗に桃山といわれ、明治38~39年の頃までは大阪屈指の大桃林があった。さらに、この祠の南に真田の抜け穴と伝えられた跡もあった。産湯稲荷神社の境内には「式内 比賣許曾神社御旅所」の石碑がある。比賣許曾神社は延喜式にも記載のある由緒ある神社で、現在は玉造の東、東小橋町にあるが、石山の合戦で焼かれて現在の場所に遷座する以前は、この地に祀られていたという。社記によると、当地の開拓神である大小橋命(おほおばせのみこと)は天児屋根命(あめのこやねのみこと)の十三世の後胤で、ここ味原郷に誕生、境内の玉井を汲んで産湯に用いたので、この地を「産湯」という。 隣接していた「味原池」は、比賣許曾神社の祭神下照比売命(したてるひめのみこと)が天の磐船に乗って天降られた霊地とされている。

■比売許曽神社(※)
垂仁天皇2年
大阪府大阪市東成区東小橋3-8-14
主祭神 下照比売命
社格等 式内社(名神大)・村社
様 式 流造