2016年9月7日水曜日

大阪市立工芸高等学校本館③-大阪市阿倍野区(2016.09.03)

■大阪市立工芸高等学校本館
大正12(1923)年
大阪府大阪市阿倍野区文の里1-7-2
大阪市建築課
RC造りレンガ張り
http://www.ocec.ne.jp/hs/kogei/
※2016.09.03撮影

大正末期から昭和初期は、新しい教育運動が盛んになり、自由・創造・個性などを強調した教育振興の時代といわれる。大阪市立工芸高等学校は大正12年(1923)4月に開校し、同13年に校舎の完成と共に現在地に移転した。

本館の平面はL字形、片廊下で、コーナー部に玄関を置くというものであり、構造は鉄筋コンクリート3階建てで、小屋組は鉄骨組みである。校舎は敷地の北西隅にL字形の本館を配置し、その隅部に門に接して玄関を開く。このような、校舎を道路に近づけ、前庭を最小限とし玄関を置くという配置は、学問、特に実業学校においては現実の社会と密接な連携を保つべき、ということを意図したものであるという。特筆すべきはその外観のデザインにある。重厚でありながらロマンあふれる形であり、一般にアールヌーボーと総称される建築様式である。1・2階の外壁はレンガ積みであり、隅部の玄関入口は大アーチとし、正面感を引き立てている。3階部分はゆるやかな曲線をもつマンサード風の急勾配の屋根がかけられているが、教室部分は窓および外壁を立ち上げ、これにより屋根を区切っているため、屋根の曲線が一層強調されるという効果を生み、外観全体を極めて特徴的なものとしている。また屋根上にはシンボルの時計塔がそびえ、外観をより印象的なものとしている。

この建物のデザインの原型となったのは、ドイツ、ワイマールの工芸学校(1907年)であったとの指摘がある。設計者のヴァン・デ・ヴェルデは自ら工芸学校の校長を勤め、学生の自由な創造性と自然な感性の発展を基調とする新しい教育方法を形成したことで知られており、後に総合造形教育をめざしたバウハウスに発展させた。工芸高等学校の本館は、新しいデザイン教育の中心であったワイマールの工芸学校を手本にすることで、新しい時代の造形教育の殿堂づくりをめざした当時の教育関係者の情熱を今に伝えるものといえる。設計は大阪市営繕課によるもので、その担当者は矢木英夫(大正9~昭和6まで大阪市に勤務)ではないかといわれている。
 
平成6~8年にかけて、耐震壁の増設をはじめとした建物の改修工事が行われ、外観は創建時の装いを取り戻した。
























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