※実際に確認できてない、もしくは写真が撮れていない場所
■四天王寺八角亭(旧内国勧業博覧会小奏楽堂)
明治36(1903)年
大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
登録有形文化財
久留正道/大場安組
■旧大川内医院
大阪府大阪市天王寺区東上町8-25
■聖バルナバ病院 ※建替
大正12(1923)年
大阪市天王寺区細工谷1-3-32
ヴォーリズ建築事務所/清水組
RC造りレンガ貼り
■大阪赤十字病院大阪支部病院 ※建替
昭和 4(1934)年
平成15(2003)年 解体
大阪府大阪市天王寺区筆ヶ崎町5-30
日赤臨時建築部(木子七郎)/大倉土木
明治42(1909)年5月8日、日本赤十字社大阪府支部病院として、博愛の精神に基づいて一般診療および救急診療を目的とし、併せて優秀な看護師を要請をするために創立された。第二次世界大戦後に連合軍総司令部(GHQ)に接収された後、昭和21(1946)年1月に大阪市天王寺区の市立生魂国民学校(現市立生魂小学校)講堂に、昭和22(1947)年2月に東区(現中央区)法円坂の元22部隊跡に移転し、昭和31(1956)年4月に天王寺区筆ヶ崎町に復帰した。
明治42(1909)年 5月8日 - 「日本赤十字社大阪府支部病院」として発足(200床)。看護婦養成所を併設。
昭和 2(1927)年~昭和 4(1934)年 鉄筋コンクリート5階建病棟に改築(北・中・南)※3病棟合計850床
昭和 8(1933)年 看護婦寄宿舎修徳寮竣工
昭和12(1937)年 12月「大阪陸軍病院赤十字病院」に改称
昭和20(1945)年 11月 連合軍に接収される
昭和21(1946)年 1月 大阪市立生魂国民学校(現大阪市立生魂小学校)講堂に移転
昭和22(1947)年 2月 大阪市東区(現中央区)法円坂、元22部隊跡に移転
昭和31(1956)年 4月 天王寺区筆ヶ崎町に復帰(精神神経科は法円坂に分院として残す)
昭和34(1959)年 9月 外来棟、管理棟落成。新館落成(本館)。外来部門診療開始。
昭和42(1967)年 4月 東区法円坂に大阪府立大手前整肢学園開設(2004年まで)
昭和49(1974)年 4月 看護婦寄宿舎修和寮、看護学校を新築。
昭和50(1975)年 8月 本院に精神神経科を移転(精神神経科病棟新築)
昭和62(1987)年 11月 健診センター完成
平成 8(1996)年 4月 東病棟新築工事着工(看護婦寄宿舎修徳寮解体)
平成 9(1997)年 3月 災害拠点病院の指定
平成10(1998)年 3月 東病棟完成(看護婦寄宿舎修徳寮の跡地)
平成13(2001)年 5月 新本館へ改築工事着工(中病舎解体)
平成15(2003)年 7月 新本館竣工
平成15(2003)年 9月 新本館での業務開始(北病舎・南病舎解体)
■梅屋敷 ※解体
大阪府大阪市天王寺区
レファレンス協同データベース
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000003831