大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9
主 祭 神 生島大神、足島大神
社 格 等 式内社(名神大)・官幣大社・別表神社
創 建 伝・神武天皇年間(紀元前711年-紀元前585年)
本殿様式 生国魂造
札 所 等 神仏霊場巡拝の道48番(大阪7番)
例 祭 9月9日
※2011.10.09撮影
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区にある神社である。式内社で、旧社格は官幣大社。難波大社(なにわのおおやしろ)ともいう。地元では「いくたまさん(生玉さん)」と呼ばれる。
社伝では、神武東征の時、難波津に上陸した神武天皇が、国土の神である生島神・足島神を現在の大阪城付近に祀ったのに始まると伝える。『日本書紀』の孝徳天皇の条で「(孝徳天皇は)仏法を尊び、神道を軽んじた」とあり、その例として生國魂社の鎮守の森の木を切ったことが挙げられている。延喜式神名帳には「難波坐生國咲國魂神社 二座」と記載され、名神大社に列している。
石山本願寺建立の際には、この生国魂神社を隣接地に遷座して建立したとも言われるが、だとするならば石山本願寺は生国魂神社の最初の鎮座地に存在したことになる。また、近年の研究によれば石山本願寺は豊臣期の大阪城の詰之丸に存在したとの説もあるが、これがもし事実ならば、生国魂神社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。
戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失した。天正11(1583)年、豊臣秀吉が、大坂城を築城する際に現在地に社地を寄進して社殿を造営し、天正13(1585)年に遷座した。このときに造営された社殿は、「生国魂造」と呼ばれる、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである。元和元(1615)年の大坂夏の陣で炎上し、徳川秀忠が再建した。
昭和20(1945)年、太平洋戦争の空襲で焼失。戦後の昭和24(1949)年、木造の本殿を再建したが、翌年のジェーン台風で倒壊。昭和31(1956)年、鉄筋コンクリートで生国魂造の本殿を再建。
この日は参道までしか行かなかったので本堂はまた改めてお参りにまいります(^^;)