2011年11月7日月曜日

【山口県】下関市(未確認物件)

※実際に確認できてない、もしくは写真が撮れていない場所

■唐戸市場
山口県下関市唐戸町5-50

■亀山八幡宮

■恋人灯台

■下関国鉄ビル(旧山陽ホテル)
明治35(1902)年
大正12(1923)年 再建
山口県下関市細江町3-2-7
辰野葛西建築事務所
RC造地上3階、地下1階
初代「山陽ホテル」













2代目「山陽ホテル」(現在残ってるのはこちら)















山陽ホテルは、山陽鉄道が山陽線の終着駅にして大陸航路の玄関となる下関駅の開業に合わせて開業させたホテル。戦前は大陸植民地へ渡航する皇族や政府高官ご用達の宿泊施設で、当時の新聞が宿泊者の氏名と職業を連日掲載するほど社会的地位が高かった。ホテルの開業は1902年。「初代の建物は木造2階建、3棟からなり、客室34室を備えた瀟洒な建築」だったという。1906年の山陽鉄道国有化に伴って国鉄に所有権が移ったが、1922年の火災により消失した。現在の建物は国鉄が1924年に再建。設計は東京駅の赤煉瓦駅舎で縁があった辰野葛西建築事務所に委ねられた。

■山口銀行別館(旧三井銀行下関支店)
大正9(1920)年
山口県下関市観音崎町10-6
長野宇平治/近藤喜一+恩田豊治/竹中工務店
RC一部煉瓦、地上2階地下1階
建築面積578.129㎡、延床面積1064.079㎡
http://www.yamaguchibank.co.jp/portal/special/museum/old-office.html

1920年に三井銀行が下関支店として建設した。1933年に百十銀行が山口市から下関市へ移転してこの建物に本店を構えた。1944年に百十銀行は山口銀行と名称を変え、1965年に竹崎町の新本店が竣工して、旧本店は観音崎支店に降格した。1973-5年には日本銀行下関支店が店舗改築中に仮店舗とした。山口銀行はこの建物を設立当時の状況に復原・保存するために、2004-5年に耐震補強工事をするとともに意匠・仕様を復原した。2005年9月に山口県指定有形文化財の指定を受けた。

■山口県労働金庫下関支店(旧不動貯蓄銀行下関支店)
昭和9(1934)年
山口県下関市南部町21-23
関根要太郎他、岡隆一、小幡慶次(免震基礎設計)
RC造3階建地下1階

■下関市役所第一別館(旧下関郵便局電話課分室)
大正12(1923)年
山口県下関市田中町5-7
逓信省営繕課
RC+煉瓦造3階建

■ロダン美容室(旧宮崎商館)
明治40(1907)年
山口県下関市田中町4-10
煉瓦造2階

■旧内務省下関土木出張所乾船渠
大正3(1914)年
山口県下関市阿弥陀寺町6-9
無筋コンクリート造

■藤原義江記念館(旧リンガー邸)
昭和11(1936)年
山口県下関市阿弥陀寺町3-14
RC造3階建

■めぐみ幼稚園第2園舎(旧バプテスト伝導社団神父レイ邸)
明治38(1905)年
山口県下関市上田中町2-13-30
E.ワーン
木造2階

■マルハ下関支社
昭和11(1936)年
山口県下関市竹崎町3-11-9
石川建築事務所/竹中工務店
RC地上3階一部5階
敷地面積1020㎡、延床面積3329㎡

マルハは1904年に創業者・中部幾次郎が家業の鮮魚仲買運搬業の本拠地を明石から下関に移し、捕鯨業・トロール漁業に進出したことにより興る。1924年に林兼商店として株式会社に改組、1943年に西大洋漁業統制と社名変更、これが気に入らず1945年に大洋漁業と社名変更。下関の事務所は林兼商店の本社として建設した。1949年に本社を東京へ移し、下関の本社は支社に降格。「マルハ」と社名変更したのは1993年。2008年にひっそり閉鎖され、所有者のマルハニチロホールディングスが売りに出した。建物は老朽化し、耐震基準を満たしていないことから、売却されれば解体撤去されそうだ。

■旧殿居郵便局局舎
大正12(1923)年
山口県下関市豊田町殿居中村1111-2
山本安一
木造平屋建て、八角塔屋2階建て付き

■旧滝部小学校本館
大正13(1924)年
山口県下関市豊北町滝部3153-1
阿川大工 橋本銀之助
本館 木造2階建て、両翼校舎 平屋建て、建築面積1,120.396㎡
JR滝部駅から徒歩10分
閉館中の問合先:人類学ミュージアム 083-788-1841

■下関水道局水道資料室(旧日和山浄水場管理事務所)
昭和4(1929)年
山口県下関市長崎中央町1-1
西田精
RC造平屋建
登録文化財

■下関水道局高尾浄水場配水池
明治39(1906)年
山口県下関市春日町8-1
瀧川釛二
煉瓦造
登録文化財

■JR下関駅(旧山陽鉄道「馬関駅」)
明治34(1901)年
山口県下関市竹崎町4-3-1

下関駅は1901年に山陽鉄道の馬関駅として開業した。下関駅と名称を変えたのは翌年。初代駅舎は現在地ではなく西細江にあった。幡生から下る鉄道は竹崎町で東に曲がり、海峡メッセ下関あたりで行き止まった。鉄道駅は関門連絡船の船着場と向かい合う構成。1942年に一本目が開通した関門鉄道トンネルへの鉄道はこの埋立地を縦断する線引きだったため、この年に駅を新線上の現在地へ移した。時あたかも第二次世界大戦の真っ最中。鉄筋コンクリート四階建ての予定が戦時中のため木造二階建てに変更。2006年に放火により焼失。

■島津海運下関営業所事務所(旧日本捕鯨別館)
昭和元(1926)年
山口県下関市岬之町13-7
RC造2階建