2013年2月8日金曜日

【まいまい京都】二条城(二の丸庭園)-京都府京都市上京区(2013.02.03)

◆京都の住民がガイドする京都のまち歩きイベント「まいまい京都」さん
2013年02月03日(日) 09:00~12:00
【二条城】 城マニアと味わい尽くす!絶頂期の築城技術と装飾意匠
~贅を尽くした巨大御殿、神仙蓬莱の極上庭園、完成された石垣工法まで~


■元離宮二条城
慶長 8(1603)年 築城
明治 4(1871)年 廃城
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 複合式望楼型5重5階(1603年移築)
複合式層塔型5重5階(1624年築)※非現存
築 城 主 徳川家康
遺構 御殿・櫓・門、石垣、堀、庭園
指定文化財 国宝(二の丸御殿6棟)
国の重要文化財(建造物22棟、御殿障壁画1016面)
国史跡、特別名勝(二の丸庭園)
世界遺産(古都京都の文化財)
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/
※2013.02.03撮影

現在二条城には江戸時代につくられた二の丸庭園、明治時代の本丸庭園、昭和時代の清流園の3つの庭園があります。平成17(2005)年、米国の日本庭園専門誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』では、日本全国693カ所の中で優れた庭園が選ばれ、清流園が5位に、二の丸庭園が10位に位置づけられました。また平成18(2006)年には日本全国731カ所の中で、清流園が6位、二の丸庭園が8位にランキングされました。

作庭の年代については記録や作風から推測して、慶長7(1602)年~8(1603)年頃(家康時代)二条城が造営された時に、その建築に調和させて作庭されたものですが、寛永3(1626)年(家光時代)の御水尾天皇行幸のために一部改修を加えられたと考えられています。書院造庭園である二の丸庭園は神仙蓬莱の世界を表した庭園と言われ、また八陣の庭とも呼ばれています。後水尾天皇行幸当時の姿は、新たに増築された行幸御殿、中宮御殿、長局等に取り囲まれた中庭的な庭園としてつくられ、池の中に御亭を建て、池の中央に3つの島、4つの橋を併せ持ち、二の丸御殿大広間上段の間(将軍の座)、二の丸御殿黒書院上段の間(将軍の座)、行幸御殿上段の間(天皇の座)・御亭の主に三方向から鑑賞できるように設計されていました。

特に、大広間からは庭園ごしに天守閣が一部望めたものと思われます。その後行幸の翌寛永4(1627)年から四半世紀にかけ、二の丸庭園を取り囲んでいた行幸諸施設は移築・撤去され、小堀遠州の作庭意図も薄れていきました。3代将軍家光の上洛以降、14代将軍家茂が上洛するまでの、229年間将軍不在のまま幕末を迎えます。その間事由は定かではありませんが、吉宗の時代に庭園の改修が行なわれました。時代は下り、15代将軍慶喜の上洛時には、樹木はほとんどなく、池は枯渇して枯山水風の庭園景観を呈し、荒廃していきました。大政奉還後、二条城は転々と所管が変わり、宮内省に所管されてからは5回以上改修が行なわれ、離宮的・迎賓館的な城として利用されました。特に離宮時代に行われた植栽工事は、幕末の庭園景が変貌する程の大規模な改修工事で、今日に至る基本的な景観が完成したと考えられます。京都市に下賜されてからの二の丸庭園は、昭和14(1939)年名勝に指定、昭和28(1953)年に 国の特別名勝の指定を受け、文化財的資産と観光要素の一つとして維持され現在に至っています。