2013年6月10日月曜日

【大阪府】交野市(未確認物件)

※実際に確認できてない、もしくは写真が撮れていない場所

■交野城(かたのじょう)
文和元(1352)年 築城
天正 3(1575)年 廃城
大阪府交野市私部6
城郭構造:連郭式平城
天守構造:不明(字天守と呼ばれる土地あり)
築 城 主:安見清儀
主改修者:安見宗房
主 城 主:安見氏
遺  構:曲輪、堀、井戸、本丸と二の丸の間の堀切跡
再建造物:なし
河内国に築かれた平城。別名「私部(きさべ)城」ともいう。交野市の北方にある、東西に延びる丘陵、免除川の南側に築城された。南北朝時代の文和元(1352)年頃、安見清儀によって築城された。安見直政の時代、三好長慶に攻められ直政は逃れたが永禄12(1569)年、織田信長の河内平定によって直政は帰城を果たした。直政の死後、筒井順慶に攻められて落城、天正3(1575)年廃城となった。

■山添家住宅
宝永2(1705)年
大阪府交野市寺2-26-33
山添家は代々庄屋をつとめた家で、棟札より、宝永2(1705)年に建てられたことが判明。間取りは、田の字型をした四間取りに、奥座敷が突き出して造られたのが特徴で、屋根は寄棟(よせむね)造のカヤ葺。
※現在、非公開

■北田家住宅(旧交野代官所)
宝永(1704~1710)~享保(1716~1735)年間
大阪府交野市私部1-25-5
乾蔵・北蔵・主屋・表門。地元では代官屋敷と呼ばれているこの住宅は、宝永(1704~1710)から享保(1716~1735)年間にかけて主屋が建てられている。中でも立派な長屋門は、長さ55.8mもあり民家では日本一の長さ。
※春・秋。日時は不定期
http://www.city.katano.osaka.jp/docs/2013040800088/

■普見山「獅子窟寺(ししくつじ)」
平安時代初期
大阪府交野市私市2387
072-891-6693
山 号:普見山
宗 派:高野山真言宗
本 尊:薬師如来
開 基:伝・役行者(開山)、行基(創建)、聖武天皇(勅願)
文化財:木造薬師如来坐像(国宝)
獅子窟寺(ししくつじ)は、大阪府交野市にある高野山真言宗の寺院。山号は普見山。本尊は薬師如来。
※公開は直接、獅子窟寺に問合せ

■氷室山「八葉蓮華寺」
天長8(831)年
大阪府交野市傍示111
山 号:氷室山
阿弥陀如来立像⇒ヒノキの割矧造(わりはぎづくり)、像高82.4cm、左足ほぞ部に「巧匠アン(梵字)阿弥陀仏」の墨書が発見され、名匠快慶の作と判明。
※春・秋。日時は不定期

■交野東車塚古墳出土品
古墳時代
大阪府交野市寺南野10 交野高等学校内
高校建設時の発掘調査で5基の古墳を検出。東車塚古墳は、全長65mを越す前方後方墳で、主体部より多数の副葬品を検出。

■廃千手寺
室町時代
大阪府交野市私市3-14-1
如意輪観音坐像⇒千手寺は亀山上皇が、病気になり獅子窟寺で平癒祈願をされたときに、行在所となったという言い伝えがあります。大坂夏の陣の頃焼き払われ廃墟となりましたが、江戸時代に再興され幕末まで存在しました。現在は地元の人たちによって管理されています。如意輪観音はヒノキ材の寄木造で、特に木寄せに特徴があります。
聖観音立像⇒この像は、もとは若宮神社の東にあった廃蓮華寺にあったものですが昭和48年に現在の収蔵庫に移されました。ヒノキ材の一木造で、着衣の形成や一木造りで内刳りを施さない古式の構造から平安時代後期の作と推定されています。
※春期1回(日時は社会教育課文化財係に問合せ)

■星田寺
平安時代中期(長歴元年頃)
大阪府交野市星田2-6-7
072-891-6116
山 号:三宅山
院 号:華岳院
総本山:教王護国寺(東寺)
不動明王(ふどうみょうおう)・弥勒菩薩・大黒天・毘沙門天・稲荷大明神・竜神
十一面観音立像(文化財指定)
サクラ材の一木造。像高143.0cm。もとは、星田地区にあった真言宗小松寺の根本草堂に祀られていた仏像です。左手に水瓶(すいびょう)、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っています。
※秋期1回(日時は社会教育課文化財係に問合せ)

■瑠璃光山薬師寺(薬師如来立像)
室町時代
大阪府交野市星田1-21-12
ヒノキ材の寄木造。像高158.0cm。全身漆箔で覆われた黒色の等身大の仏像で、目には玉眼が嵌め込まれています。現在は、薬師寺保存会の皆さんによって管理されています。
公開日:秋期1回(日時については社会教育課文化財係にお問い合わせください)

■瑠璃光山薬師寺(千体仏)
室町時代
大阪府交野市星田1-21-12
ヒノキ材の一木彫成。像高4.1~15.0cmまでの小さな仏像で、総数671体を数えます。詳細は、薬師如来立像が472体。地蔵菩薩坐像が192体。地蔵菩薩立像が5体。菩薩形立像が2体となります。
※秋期1回(日時は社会教育課文化財係に問合せ)

■梵文光明真言刻銘瓦質土器(ぼんもんこうみょうしんごんこくめいがしつどき)
鎌倉時代
出土地:獅子窟寺(裏山)
器高16.9cm、口径21.0cmの瓦質土器。器の表面には、細かい錐状の工具で浄土変真言や光明真言等の有り難いお経が、2行1単位で21回も書かれています。もとは土砂加持の際に使用される容器と考えられますが、後に蔵骨器に転用された可能性の高い土器です。現在は、 交野市歴史民俗資料室にてあります。

■倉治古墳群出土遺物
古墳時代後期
出土地:関西電力枚方変電所内(大阪府交野市東倉治3-1-1)
昭和26年変電所建設に先立ち行った調査で合計8基の古墳を発見しました。土器類、鉄器類、装飾品などを出土しました。

■山野家住宅
主屋は、大正末期の移築建物。大正時代になって、酒造業を始めるが、現在の山野家屋敷は、交野市域のみならず、大阪府下でも少なくなった造り酒屋の屋敷施設としての姿をよく留めている。京阪交野市駅より東に向かって徒歩15分。若しくは京阪バス津田駅行き「市場」下車すぐ。

■天野川石堰堤工
明治32(1899)年
淀川水系砂防事業は、明治中期に全国に先駆けて行われ、本堰堤は、当時の技術レベルをうかがい知ることのできる貴重な近代化遺産。明治32(1899)年築造。

■尺治川砂防堰堤
尺治川は、府民の森より流れ出、天野川に合流する川で、上流には月輪の滝(別名 金剛の滝)がある。砂防堰堤は、ちょうど天野川に注ぎ込む地点にあり、現在は流れのないため石組されている。

■尺治川床固工
尺治川の河道内に設置されているが、うっそうとした竹林の中にあり、通常は望見することができない。