2011年11月8日火曜日

小倉北区京町界隈の町並み①-福岡県北九州市小倉北区(2009.03.22)

■小倉北区京町界隈の町並み①
※2009.03.22撮影



















港町から鉄路の町へ

小倉に芸娼妓所が設けられたのは明治16年。いくつかの候補地の中から旧小倉湾に面した舟町(現船頭町3丁目)が選ばれ、舟町字旭町、通称「旭町遊廓」と称するようになった。収益金を港の整備費にあてる名目で市が県に陳情し、許可が下りたのだという。鉄道がまだ小倉まで通じていなかった頃の話である。

昭和5年の「全国遊廓案内」によれば、その頃旭町遊廓には妓楼30軒に娼妓が250人。<小倉駅で下車すれば東へ三丁>とあるのは、鹿児島本線小倉駅が当時は紫川の西側にあったためで、室町を通り常盤橋を渡った先に遊廓、花柳界、劇場、映画館を含む盛り場がひらけていたことになる。戦後の『全国女性街ガイド』には<小倉では青線が圧倒的。赤線は三本松、大正町、城野町一帯に80軒、370人>という記述がみられるが、旭町遊廓についてはなぜか触れられていない。-『赤線街を歩く2』木村聡著- P42・P43「小倉」より


戦前までの小倉駅は、現在の小倉駅よりも数百メートル戸畑寄りの位置にあった。遊廓が置かれていたのは、旧小倉駅からだと東へ歩いたところにある「旭町(現在の「船頭町」で、昭和初期には三十軒の妓楼が軒を連ねて、同じ町に芸者町も併設されていた。-『消えた赤線放浪記』木村聡著-より

小倉にも上記記述のような旧遊廓の旭町(現在の船頭町)をはじめ、戦後に出来た三本松(現在の古船場町)、大正町(現在の馬借1丁目)、城野町とさまざまな赤線跡が残ってるはずだが、歩いた場所は「船頭町」の隣にある「京町」(元、青線があった場所)の飲み屋街のみ。