ラベル 北九州市 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 北九州市 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年11月8日火曜日

BLUE KOKURA(旧岡田医院・旧小倉警察署庁舎・小倉県庁跡)-福岡県北九州市小倉北区(2009.03.22)

■BLUE KOKURA(旧岡田医院・旧小倉警察署庁舎・小倉県庁跡)
明治23(1890)年 改築
福岡県北九州市小倉北区室町2-2-1
白水碩次郎/原田留造(大工)
※2009.03.22撮影

現在はハリウッドランチマーケットのブランドショップ小倉店(店名は「BLUE KOKURA」)。ブルーか・・・どうりで病院だった時期の白い建物を探してたのがみつからんわけです(^^;)






小倉北警察署-福岡県北九州市小倉北区(2009.03.22)

■小倉北警察署
昭和40(1965)年
福岡県北九州市小倉北区城内5-1
※2009.03.22撮影

2009年9月、旧NHK北九州放送局跡地(現在地の北向かい。北九州市小倉北区大門1-373-2)に警察署としては西日本最大規模(地上12階地下1階建)の庁舎を新築し、北九州市警察部とともに移転(小倉北警察署は1~8階部分に入居)予定※撮影当時情報


常盤橋-福岡県北九州市小倉北区(2009.03.22)

■常盤橋
元和10(1624)年
福岡県北九州市小倉北区室町2
※2009.03.22撮影

細川時代(江戸時代初期)に紫川の東側を東曲輪として開発したときに、以前からの城下町であった西側(西曲輪)とを結ぶ橋として架設されたといわれている。当時は大橋と呼ばれ、元禄5年~7年に架け替えられてから、常盤橋と呼ばれるようになった。平成7年に紫川マイタウン・マイリバー整備事業のひとつとして、江戸時代と同じ「木の橋」に生まれ変わる。橋げたにはコンクリートと同じ強さを持つ木(ボンゴシ材:西アフリカ産)が、そして欄干には手触りのよいチーク材など、天然木が使われている。



【食べログ】ラトリエ・ドゥ・アカレンガ-(旧湖月堂赤煉瓦館・旧湖月堂酒類倉庫)-福岡県北九州市小倉北区(2009.03.22)

■ラトリエ・ドゥ・アカレンガ-L'atelier d' AKARENGA-(旧湖月堂赤煉瓦館・旧湖月堂酒類倉庫)
大正 7(1918)年
福岡県北九州市小倉北区京町2-6-14
093-533-7116
営業時間 10:00~21:00(L.O.20:30)
定 休 日 
※2009.03.22撮影

小倉北区京町界隈の町並み②-福岡県北九州市小倉北区(2009.03.22)

■小倉北区京町界隈の町並み②
※2009.03.22撮影










小倉北区京町界隈の町並み①-福岡県北九州市小倉北区(2009.03.22)

■小倉北区京町界隈の町並み①
※2009.03.22撮影



















港町から鉄路の町へ

小倉に芸娼妓所が設けられたのは明治16年。いくつかの候補地の中から旧小倉湾に面した舟町(現船頭町3丁目)が選ばれ、舟町字旭町、通称「旭町遊廓」と称するようになった。収益金を港の整備費にあてる名目で市が県に陳情し、許可が下りたのだという。鉄道がまだ小倉まで通じていなかった頃の話である。

昭和5年の「全国遊廓案内」によれば、その頃旭町遊廓には妓楼30軒に娼妓が250人。<小倉駅で下車すれば東へ三丁>とあるのは、鹿児島本線小倉駅が当時は紫川の西側にあったためで、室町を通り常盤橋を渡った先に遊廓、花柳界、劇場、映画館を含む盛り場がひらけていたことになる。戦後の『全国女性街ガイド』には<小倉では青線が圧倒的。赤線は三本松、大正町、城野町一帯に80軒、370人>という記述がみられるが、旭町遊廓についてはなぜか触れられていない。-『赤線街を歩く2』木村聡著- P42・P43「小倉」より


戦前までの小倉駅は、現在の小倉駅よりも数百メートル戸畑寄りの位置にあった。遊廓が置かれていたのは、旧小倉駅からだと東へ歩いたところにある「旭町(現在の「船頭町」で、昭和初期には三十軒の妓楼が軒を連ねて、同じ町に芸者町も併設されていた。-『消えた赤線放浪記』木村聡著-より

小倉にも上記記述のような旧遊廓の旭町(現在の船頭町)をはじめ、戦後に出来た三本松(現在の古船場町)、大正町(現在の馬借1丁目)、城野町とさまざまな赤線跡が残ってるはずだが、歩いた場所は「船頭町」の隣にある「京町」(元、青線があった場所)の飲み屋街のみ。






【食べログ】華の湯-福岡県北九州市小倉北区(2009.03.22)

■華の湯
福岡県北九州市小倉北区片野4丁目1-8 フィオレンティーナ2F
093-953-0087
http://www.hananoyu.jp/
※2009.03.22撮影

小倉乗車-神戸へ帰る深夜バスの乗車時間が23:50と遅いので、ゆったりと時間調整ができる場所を・・・と旅に出る前にスーパー温泉を物色。夕食もそこで取るつもりで「小倉」から九州モノレールに乗って「片野」下車。「う・・・スーパー温泉と言うにはぁ(^^;)」であったが(笑)、これで380円という超コスパな「豚汁定食」にはちょっと感動

【福岡県】北九州市小倉北区・小倉南区(未確認物件)

※実際に確認できてない、もしくは写真が撮れていない場所

■旧東京製綱旧小倉工場事務所
明治39(1906)年
福岡県北九州市小倉北区高浜1-3-1
清水組
http://gazone.morrie.biz/tokusyuu/tookyoo_seikoo.html

■旧東洋製綱小倉工場事務所と倉庫
明治39(1906)年
福岡県北九州市小倉北区浅野3-1-6 小倉興産3号館
093-513-6111
http://www.tokyorope.co.jp/company/histoy.html

■日本基督教団 小倉日明教会
昭和16(1941)年
福岡県北九州市小倉北区日明2-2-33
093-571-3893

■到津の森公園 子どもホール(旧到津遊園子供ホール)
昭和11(1936)年
福岡県北九州市小倉北区上到津4-1-8

■旧手向山砲台変電所
明治21(1888)年
福岡県北九州市小倉北区赤坂

■森鴎外旧居
明治30(1897)年
福岡県北九州市小倉北区鍛冶町1-7-2
093-531-1604
市指定有形文化財

森鴎外は文久2年(1862)1月l9日、現在の島根県津和野町町田に生まれました。明治5年上京、明治l4年東京大学医学部卒業後、軍医の道を進みます。明治l7年から2l年までドイツヘ留学し、この西欧体験は鴎外の教養と見識を深め、帰国後医学界、文学界の改新のために大活躍をしました。明治40年軍医総監陸軍省医務局長に就任し、軍医として最高の地位(中将官相当)につきます。小説家としても漱石とともに明治文壇に確固たる地位を築いた人です。作品には「即興詩人」の翻訳舞姫、高瀬舟、雁、山椒大夫、阿部一族などの多くを残しています。明治32年、軍医部長として小倉に赴任した森鴎外は初め鍛治町に住み後に京町に住みました。現在、鍛治町の住居が残っています。この旧居には森鴎外遺言書など若干の資料が展示してあります。それと49歳の時のほぼ等身大の写真がありますが、鴎外の身長は161.2cmだったそうです。今にしては低いほうですが、当時の平均身長は155cmなので、当時としては高かったようです。

■旧第十二師団司令部の正門
明治31(1898)年
福岡県北九州市小倉北区城内

明治8(1875)年に、歩兵第十四連隊が小倉に設置されました。明治18(1885)年、小倉城松の丸跡に、既設の第十四連隊と福岡の歩兵第二十四連隊を管轄する歩兵第十二旅団本部が開設されました。ついで、日清戦争後の軍備拡張のため、明治31(1898)年、小倉、大分、久留米、佐賀の各連隊や下関要塞砲兵連隊をもって第十二師団が生まれ、その司令部庁舎が本丸跡に建てられました。この煉瓦造の正門は当時のもので、明治32(1899)年6月から第十二師団の軍医部長を務めた森鷗外もこの門を通って登庁しました。なお、司令部は軍縮により、大正14(1925)年、久留米に移転することになりました。

■陸上自衛隊九州補給処城野支処(旧陸軍倉庫)※解体
福岡県北九州市小倉北区片野新町3
大正 3(1914)年
※2008年解体


■新日本製鐵紫川取水場ポンプ室
大正 7(1918)年
福岡県北九州市小倉北区木町2

■旧小倉陸軍造兵廠防空監視哨
福岡県北九州市小倉北区大手町

■レイメイ藤井事務所(旧小倉造兵廠施設)※解体
福岡県北九州市小倉北区大手町
RC3階建て
※2002年解体


■室町館※解体
福岡県北九州市小倉北区室町2
※2003年解体

現在のリバーウォーク真正面側にあったビアホール

■米七ビル
昭和 9(1934)年
福岡県北九州市小倉北区魚町1
RC3階建て

■菊屋百貨店(旧小倉玉屋)※解体
昭和10(1935)年
福岡県北九州市小倉北区室町1
RC5階建て
※2002年解体


■小倉ワシントンビル(旧かねやす百貨店)
福岡県北九州市小倉北区魚町3
昭和11(1936)年
RC7階建て

■寿橋
福岡県北九州市小倉北区堺町2
昭和12(1937)年
鉄筋コンクリート造アーチ橋

■ワイ・イー・テック小倉工場(旧小倉造兵廠施設)
福岡県北九州市小倉北区城内

■大成旅館(旧大成館)
福岡県北九州市小倉北区京町1
木造3階建

■旧朝日新聞西部本社※解体
福岡県北九州市小倉北区砂津1
RC4階建て
※2004年解体


■JR九州「石原町」駅(旧小倉鉄道「石原町」駅)
大正 4(1915)年
福岡県北九州市小倉南区大字新道寺372-2

2011年11月6日日曜日

福岡ひびき信用金庫門司港支店(旧門司信用組合)-福岡県北九州市門司区(2009.03.21)

■福岡ひびき信用金庫門司港支店(旧門司信用組合)
昭和5(1930)年
福岡県北九州市門司区東本町1-2-9
門司市の技師/大倉土木
鉄筋コンクリート造2階建て、一部3階
※2009.03.21撮影

旧岩田酒店(岩田家住宅)-福岡県北九州市門司区(2009.03.21)

■旧岩田酒店(岩田家住宅)
大正10(1921)年
福岡県北九州市門司区東本町2-6-24
石田要三+外部千松(大工)
木造地上2階
桁行12.0m、梁間9.3m、片入母屋造桟瓦葺き、鼠漆喰仕上げ居蔵造、延床面積346.5㎡
※2009.03.21撮影



門司電気通信レトロ館(NTT門司営業所・旧門司郵便局電話課)-福岡県北九州市門司区(2009.03.21)

■門司電気通信レトロ館(NTT門司営業所・旧門司郵便局電話課)
大正13(1924)年
福岡県北九州市門司区浜町4-1
山田守(逓信省営繕課)/橋本組
鉄筋コンクリート造3階建て
市建築文化賞受賞
※2009.03.21撮影



福岡中央銀行門司支店(旧藤本ビルブローカー銀行門司支店・正金相互銀行門司支店)-福岡県北九州市門司区(2009.03.21)

■福岡中央銀行門司支店(旧藤本ビルブローカー銀行門司支店・正金相互銀行門司支店)
大正13(1924)年
平成元(1989)年 転換
福岡県北九州市門司区浜町2-18
武田吾一/竹中工務店
鉄筋コンクリート造2階建て
※2009.03.21撮影