2012年1月24日火曜日

西区九条~本田界隈の町並み-大阪府大阪市西区(2008.06.30)

■西区九条~本田界隈の町並み
※2008.06.30撮影

◆松島遊廓(松島新地)

明治時代に築かれた遊廓、赤線。通称は「松島新地」。江戸時代の新町遊廓に代わる大阪の新たな遊廓として、木津川と尻無川 の当時の分流点である寺島(現在の大阪市西区千代崎1丁目・2丁目)に明治に成立した。以後、市電の便もよい松島は歓楽街として繁栄し、周囲の九条新道も都心有数の商店街として栄えたが、戦争と大空襲でその面影も消えたが、戦後はいわゆる赤線として復活した。同じ松島とよばれているが位置は若干異なり、現在の西区九条1丁目・本田2丁目が中心となった。しかし1958年の売春防止法施行で名目上は廃止された。

「松島」の名の由来は当時そこに樹齢300年とも言われた松の木があり、それが寺島の先(現在の松島公園の北端あたり)にあったことから「松が鼻」と呼ばれていた。また当時の名前の寺島の一文字ずつを取って「松島」と命名された。
※『松島新地誌』松島新地組合 1958年

大浦兼武(おおうらかねたけ)
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa080315.html

明治元(1868)年 川口居留地近くに松島町が誕生
明治 2(1869)年 松島遊廓が成立
大正15(1926)年 松島遊郭疑獄
昭和20(1945)年 大阪大空襲により全焼
昭和33(1958)年 売春防止法施行により廃止※料亭街「松島料理組合」