2016年8月8日月曜日

浜脇温泉-大分県別府市(2016.07.12)

■浜脇温泉
大分県別府市浜脇1丁目8番20号
0977-25-8118
営業時間 6:30~25:00
休 館 日 年末大掃除日(不定)
入浴料金 100円
施  設 普通浴、集会室
※2016.07.12撮影

鉄輪と並び別府温泉発祥の地と呼ばれる浜脇温泉。名前の由来は、浜から温泉が湧き出る様子から「浜わき」の地名が生まれたと伝えられている。昭和初期には浜脇東・西温泉が合併し「浜脇温泉」(うち浴場東側は浜脇高等温泉)が鉄筋コンクリート造で建設され、 多くの利用者でにぎわいました。平成3年には再開発事業の一環として、多目的温泉保養館の「湯都ピア浜脇」と普通浴のみの「浜脇温泉」が建設され、温泉の前には以前の温泉の記念にアーチ型のモニュメントが残されている。また、市営温泉の中でも珍しく深夜(午前1時)まで営業しており、地域住民の生活に密着した温泉として、親しまれている。
























◆浜脇高等温泉※解体済
昭和 3(1928)年
設計 池田三比古

浜脇東温泉と西温泉を合併して建設されることになった浜脇高等温泉(HAMAWAKI HOT SPRING BATHS FIRST CLASS)は1928年(昭和3年)6月に竣工したRC(鉄筋コンクリート)建築物である。近世オランダ様式を採用し、工費13万円、建坪600坪、内部には坪湯、砂湯、家族湯がありコンクリート温泉建築としては東洋一を誇った。東側が浜脇高等温泉、西側が浜脇温泉として建築されたが、浜脇再開発で取り壊され、今は、西側の浜脇温泉の入口部分のアーチのみが記念に残されている。設計は別府市技師池田三比古氏。当時別府市公会堂を設計した逓信省技師の吉田鉄郎氏のアドバイスを受けて建設。

◆池田三比古(いけだ・みつひこ) 1893~1979

建築家・池田三比古は大分県竹田市の寺町通りに士族出の医師である父衛藤敦夫(東京帝国大学の医科卒)の6男2女の3男として生まれ育った。父敦夫は広瀬武夫中佐の叔父にあたる。すなわち、広瀬武夫は三比古の従兄になる。父は三比古を軍人にしたいと願っていたが、三比古が結核を患ったために断念した。三比古は後年、「軍神広瀬中佐書簡集」をまとめている。中学を卒業後、上京して苦学をしながら蔵前高等工業高校(現在の東京工業大学[東工大])の建築学科に入学した。その後、三比古は海軍省、逓信省、渡辺仁設計事務所と勤め先を変わったが、渡辺仁設計の「山崎商店」の現場主任をしていた時に逓信省営繕課の技師吉田鉄郎と出会う。三比古は養家の親の訃報に接し、やむおえず別府に帰り、町役場の営繕係技師として勤めだしたのは1922年(大正11年)のことである。三比古の設計した浜脇高等温泉の親しみやすいデザインはその後の木造洋風建築にもとりいれられ、「市立別府中学」(1934・昭和9)、「西小学校」(1935・昭和10)、「北浜海岸天然砂湯」(1936・昭和11)にも受け継がれた。大分県最初の鉄筋コンクリート造り校舎の「南小学校」や現存している亀川の「浜田温泉」(1937・昭和12)、「竹瓦温泉」(1938・昭和13)、観海寺の薬師堂(1933・昭和8)なども池田三比古の設計である。

◆懐かしの別府ものがたり
今日新聞、懐かしの別府ものがたり特集ブログ
東洋一誇る高等温泉 温泉あれこれ④ 公会堂・中外博の昭和3年

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