2016年8月8日月曜日

別府八湯(浜脇)の町並み④-大分県別府市(2016.07.12)

■別府八湯(浜脇)の町並み
大分県別府市浜脇
※2016.07.12撮影




浜脇(はまわき)温泉は、朝見川の河口一帯の温泉街で、JR東別府駅(浜脇駅として開設された)の前の海沿いに位置し、別府市営温泉「浜脇温泉・湯都ピア浜脇」の他は小さな共同温泉が多い。現在は名前の由来となった砂浜に温泉が湧く様子は見られないが、鎌倉時代には八幡朝見神社の門前町として栄え、大友氏が温泉奉行を置いて温泉を整備した。江戸時代後期の1817年(文化14年)に書かれた温泉番付「諸国温泉功能鑑」では、西の前頭三枚目で別府温泉よりも上位にランキングされ、河口の船溜も湯治舟で賑わっていた。炭酸水素泉、塩化物泉など。




















《明治以前》
別府村の西に隣接する温泉場・港町で往来の多い村であった。別府村同様、貞享3年(1686)より幕府領。田能村竹田『黄築紀行』(文政5年)には、「別府・浜脇の二里。水皆熱し。毎家各湯池を鑿ち、遊客を延接す。商肆・妓院・酒楼・戯場より農家に位たる迄屋を接し、軒を並べ、雑然と棋置す。三、四月の間、遊客最も多し」などと記される。一次史料の残存状況については別府村と同様である。神田(1999年)は、浜脇村にも遊女宿が存在した可能性を指摘する(文化年間の例)。

《明治・大正・昭和戦前期》
別府の温泉場にあって、明治20年代まで貸座敷は別府村の流川沿いに集中していたが(前掲「別府」の項参照)、以降明治40年頃にかけて貸座敷業は浜脇村で拡大した。たとえば明治40年(1907)『新別府花柳細見』に掲載される業者数は別府が19軒に対して浜脇は44軒である。貸座敷は共同温泉浴場の東湯・西湯・薬師湯が集まる街区周辺に温泉宿や一般商店・民家と混在して立地する。明治後期には入江の埋め立てによって新出した土地である入江町に遊廓が軒を並べた。全部で八つある別府の温泉場(別府・浜脇・観海寺・鉄輪・亀川・芝石・明礬・掘田)のなかでも、明治後期以降の浜脇は特に貸座敷の集積地として特化していった。

遊廓・遊所研究データベースより-




旧「貸席ますや」

旧「貸席かしく」









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