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2016年5月2日月曜日

【明治村 55】隅田川新大橋-東京都中央区~江東区(2016.04.30) △外観のみ(遠景)

■隅田川新大橋
明治45(1912)年
旧所在地 東京都中央区浜町から江東区深川新大橋
博物館明治村5丁目55番地
※2016.04.30撮影


















★以下は、画像整理用覚書


日本の鉄橋の中で、古く有名なものとしては、鉄道橋では明治10年(1877)東海道線六郷川に架けられた六郷川鉄橋、道路橋では旧京橋区楓川の弾正橋(明治11年架橋、重要文化財)、そして隅田川に架けられた五大橋があげられる。五大橋とは、上流から順に吾妻橋、厩橋、両国橋、新大橋、永代橋のことで、明治の五大橋と言われ、デザインはそれぞれに異なっていた。
新大橋は、明治45年五大橋の最後の橋として日本橋浜町と深川安宅町の間に架けられた。設計監理には東京市の技術陣が当たったが、鉄材は全てアメリカのカーネギー社の製品が使われている。これは、明治の末においても未だ我が国の鉄材の生産量が乏しかったためと考えられる。
竣工後間もなく、橋を渡って市電が開通し、橋の役目は一層高まるが、大正12年の関東大震災の折には、他の鉄橋が落ちる中で、この新大橋だけが残り、避難の道として多数の人命を救った。
全長180m、途中に2箇所の橋脚が立つ三径間の橋で、形式はプラットトラス型という。中央に車道を通し、両側には歩道を張り出している。路面は厚い鉄板の上にコンクリートを打ち、仕上げにアスファルト板を敷いていた。明治村に移築されているのは、日本橋側の一径間の半分、25m分である。
力感あふれるトラスと対照的に、まわりには繊細な装飾が見られる。歩道の高欄もその一例で、細かい鉄材を組み合わせたデザインは曲線を多用したアールヌーボー風で、かたい橋の印象を柔らかなものにしている。また、橋の両たもとに置かれた白い花崗岩製の袖高欄と親柱は、線で構成された橋に対し、程良いアクセントとなっている。

【明治村 57】川崎銀行本店-東京都中央区(2016.04.30) △外観のみ(遠景)

■川崎銀行本店
昭和 2(1927)年
旧所在地 東京都中央区日本橋
博物館明治村5丁目57番地
※2016.04.30撮影





















★以下は、画像整理用覚書

川崎銀行本店は、ルネッサンス様式を基調としており、当時の銀行・会社の本店建築の中でも本格的銀行建築である。構造は鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造、外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38メートル、高さ約20メートルの建築であった。関東大震災以前の大正10年に起工され、6年間の工期を費やして昭和2年に竣工した。設計者の矢部又吉は、ドイツのベルリン工科大学に学び、帰国後多くの銀行建築を設計したが、この建物はその代表作といえる。
川崎銀行は、江戸時代、水戸藩の勘定方をつとめた川崎八右衛門翁が明治13年に設立した銀行で、明治中頃には有力銀行の一つに数えられた。その後昭和2年川崎第百銀行、昭和11年第百銀行と改称ののち昭和18年三菱銀行と合併した。
一方、川崎財閥の信託部門として設立された川崎信託株式会社が昭和11年からこの建物を共同使用していたが、同社はその後日本信託銀行と改称、昭和28年から同建物を全館使用するところとなった。

川崎銀行本店の旧全景
東京の中心地、日本橋のシンボルとして永く人々に親しまれてきたこの建物は、昭和61年ビル立て替えのため惜しくも取り壊され、正面左側角の外壁部分が明治村へ移築された。日本橋に建て替えられた新ビルは、旧建物の中央玄関部分や柱のキャピタル部分などを保存再利用し、旧建物の面影を活かしたポストモダーンのデザインとなっている。 あわせて参考にすべきであろう。