2012年5月12日土曜日

【巡検】花洛名勝図会を追って④(吉水大弁財天女)-京都府京都市東山区(2012.05.06)

■慈圓山「安養寺」吉水大弁財天女
京都府京都市東山区八坂鳥居前東入円山町624
円山公園東北知恩院大鐘楼の南
075-561-5845
※2012.05.06撮影



















「吉水」というのは安養寺の鎮守であった弁財天社境内に涌く名水。また、安養寺近辺の通称地名にもなっている。『京洛名水めぐり』という本によると、「吉水」は旱のときに祈ると必ず効験があると信じられていたそうだ。江戸時代には祇園の白朮詣り(おけらまいり)に出かけた人は、少し足を伸ばしてここの弁天様へお詣りして元旦の若水用に「吉水」を汲んで帰った。『都名所図会』の安養寺の項に『吉水の井は鎮守弁才天の傍にあり、青蓮院宮御代々法親王灌頂の時、この水を閼伽とし、夜深更に例式の列を糺し来臨し給ひ、御手づから汲ませらるゝといふ。当山坊中の書院は昇らずして高楼に至り、清奇典麗いはん方なし』と記されている。青蓮院は粟田御所ともいわれる天台宗のお寺さんで安養寺の北側に現存している。灌頂というのは仏教上の儀式で受戒ですとか結縁のときに香水を頭に注ぐことをいうようです。閼伽というのは仏様にお供えする水のことだそうです。挿絵には安養寺の門を入から、いくつかの石段の上に「弁天」と「吉水」が描かれている。境内にはいくつかの子院も描かれているが、子院では席を貸して酒肴も出したそうで、遊興する人々の姿も描かれている。子院の一つであったのがいまの料亭「左阿弥」。『当山坊中の書院は昇らずして高楼に至り、清奇典麗いはん方なし』。
野原は昔、温泉だった…との事。
















丸山温泉将軍塚
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/satsuei/page7/KM_08_01_015F.html
写真には丸山となっているが、正しくは円山。京都東山の八坂神社近くに円山公園が開園したのは明治19年。それ以前より円山には也阿弥ホテルや円山温泉などのレジャー施設が建てられた。正面に見える望楼のような建物あたりが円山温泉で、吉水温泉とも呼ばれ、明治6年に開業した保養施設。しかし、明治32年の火事で隣接していた也阿弥ホテルとともに全焼。のちに也阿弥ホテルはいったん再建されたが、円山温泉は廃業。也阿弥ホテルも明治39年に再び焼失し、再建されることがないまま明治41年に廃業。

『映像に見る近代京都の生活文化』-のりもの-人力車・自転車・自動車
上記ページの中に当時の也阿弥ホテルの様子が映し出されてる。
http://www.kyobunka.or.jp/phot/norimono.html

『京都ホテル100年物語』前史編~波瀾万丈~06.「也阿弥」
http://www.kyotohotel.co.jp/100th/1st_zenshi/no06.html

ピエール・ロチ『秋の日本見聞録』(長崎大学学術研究成果リポジトリ)
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/15413/1/kyoyoJ38_01_06_t.pdf

『京都ホテル100年物語』第二部 明治編~順風満帆~26.「也阿弥ホテル」の火事
http://www.kyotohotel.co.jp/100th/2nd_meiji/no26.html

『京都ホテル100年物語』第二部 明治編~順風満帆~32.「也阿弥再度の火災」
http://www.kyotohotel.co.jp/100th/2nd_meiji/no32.html

『映像に見る近代京都の生活文化』
http://www.kyobunka.or.jp/phot/index.html

















其二・吉水弁天社・阿弥陀堂
景樹・よし水の清水のもとにけふは来て秋をあきとも思ひける哉
当山各坊の宴席及庭池の光景は、林泉名所図会に委しく載たれば、
此には堂社をのみ写せり。覧者よろしく察し給へ

















円山安養寺・門前
小謡や真葛が原のはるの月・太計彦
東山ノ楓老イ紫嵐饒シ
秋後ノ幽攀寂寥ヲ破ル
咲テ問フ同人ノ旧吟履
多福ニ過グ可キヤ
端寮ニ過ギンヤ
中嶋規

■お宿「吉水」
京都府京都市東山区円山公園弁天堂上
http://yoshimizu.com/kyoto/
















■慈圓山「安養寺」
延暦年間(782~806)
京都府京都市東山区八坂鳥居前東入円山町624
075-561-5845
宗 旨 天台宗が始まりで、現在は時宗。
開 基 伝教大師(最澄)