2012年5月15日火曜日

【巡検】花洛名勝図会を追って②(雙林寺)-京都府京都市東山区(2012.05.06)

■霊鷲山「雙林寺」(法華三昧無量寿院)
延暦24(805)年
京都府京都市東山区下河原鷲尾町526
宗 派 天台宗
文化財 木造薬師如来坐像(重要文化財)
http://www.sourinji.com/
https://twitter.com/intent/user?screen_name=sourinji
※2012.05.06撮影




















延暦24(805)年、桓武天皇の勅願により最澄が創建したのが始まりと伝えられる。その後、この寺には平安時代後期の武士で後白河天皇に仕えた平康頼、平安時代後期の歌人西行、南北朝時代の歌人頓阿などが隠棲している。至徳元(1384)年、国阿が入寺して再興し時宗の道場が置かれたが、その後衰退。江戸時代に入り、高台寺や大谷祖廟の造営にあたって寺地を献上し、規模が縮小された。明治初年に再び天台宗の寺院となったが、円山公園が造成のために上地し、本堂と飛地境内にある西行堂のみとなった。

■株式会社 藤田石材店
京都府京都市東山区八坂通東大路西玉水町74-1
075-551-0465





























■京料理旅館高台寺「よ志のや」
京都府京都市東山区高台寺北門前通下河原東入鷲尾町528
075-533-7060
営業時間 11:00~15:00(L.O.14:00)/17:00~21:30(L.O.19:30)
定 休 日 無休
http://www.k-yoshinoya.jp/

■西行庵

西行法師は元北面の武士だった人で、23才のとき突然出家をして修行の道に入り、その後諸国を遍歴した。歌人として知られ、生涯詠んだ歌は2000首に及ぶと言われる。山家集が有名。西行庵は近くにある双林寺の飛地境内にあたる。西行は晩年この双林寺で修行に明け暮れていたという。有名なこの歌は双林寺での修行時代にこのあたりの桜の下で詠まれたらしい。現在の西行庵は必ずしも西行が修行した場所という訳ではなく、天正時代に再建されたものが基になっている。その後荒廃が進み現在の建物は明治になってから復興されたものである。拝観だけなら自由。

願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃

そして・・・「雙林寺」の境内を抜け「㈱藤田石材店」の脇をを通って「よ志のや」と「西行庵」の間の細い路地を抜けると!!!