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2015年5月8日金曜日

親不知界隈の風景-新潟県糸魚川市(2015.05.04)

■親不知界隈の風景
新潟県糸魚川市
※2015.05.04撮影

飛騨山脈(北アルプス)の日本海側の端に当たる。新潟県糸魚川市、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの青海駅からえちごトキめき鉄道日本海ひすいライン及びあいの風とやま鉄道あいの風とやま鉄道線の市振駅間に位置する。断崖は飛騨山脈の北端が日本海によって侵食されたために生まれたものである。親不知駅がある歌(うた)の集落を中心に、西の市振(いちぶり)地区までが親不知、東の勝山(かつやま)地区までが子不知(こしらず)と呼ばれており、併せて親不知子不知とも呼ばれる。市振から勝山までは約15km程の距離である。越後国と越中国の間を往来する旅人は、この断崖を海岸線に沿って進まねばならず、古くから北陸道(越路)最大の難所として知られてきた。






糸魚川駅前の町並み-新潟県糸魚川市(2015.05.04)

■糸魚川駅前の町並み
新潟県糸魚川市
※2015.05.04撮影













雁木通り(旧加賀街道)界隈の町並み-新潟県糸魚川市(2015.05.04)

■雁木通り(旧加賀街道)界隈の町並み
新潟県糸魚川市本町
※2015.05.04撮影
























◆加賀の井酒造株式会社
慶安 3(1650)年
新潟県糸魚川市大町2-3-5
025-552-0047
http://www.kaganoi.co.jp/

慶安 3(1650)年 小林家二代目の九郎左ェ門が古賀坂家から酒屋を譲り受け、酒造りを始める。
承応元(1652)年 小林家敷地内に加賀藩糸魚川本陣が置かれる。本陣が置かれ、前田利常が献上された酒をいたく気にいり、加賀国でないのに加賀の字の使用を許し、酒銘を「加賀の井」とした。小林家は本陣の役と糸魚川の町年寄を兼ねて、幕末まで踏襲した。酒造りは現存する敷地内の蔵(現在は出荷蔵として使用)でおこなわれていた。
天明 2(1782)年 加賀藩、大聖寺藩、富山藩の宿泊記録とともにたびたび酒が献上され、藩主や家老の献立にも用いられたことが記録に残っている。明治以降も前田家に献上されていた。
昭和28(1953)年 株式会社となる。
平成18(2006)年 5月 - 事業休止状態となる。12月 - ジャパン・フード&リカー・アライアンス(以下、JFLA)の支援を受ける。
平成19(2007)年 7月 - JFLAの完全子会社の新・加賀の井酒造として発足。10月 - JFLAより分離独立した中間持株会社、株式会社伝統蔵の完全子会社となる。
平成23(2011)年 4月 - 株式会社伝統蔵が盛田株式会社に吸収合併され、加賀の井酒造はその子会社となる。