2012年10月17日水曜日

【関連書籍】旅情瀬戸内海

■旅情瀬戸内海
著 者:布田 源之助(ふだ げんのすけ)
発行社:海文堂
印刷所:凸版印刷株式会社関西事業部
サイズ:ページ数 348
発行年:昭和37(1962)年05月30日
定 価:600円
   



















木之江 P240

 木之江という港は、大山秖神社のある大三島の西に浮かぶ、大崎上島の東の海に面した小さな港で、宮の浦港とは一衣服帯水のところにある。

 丁度、阪神と関門とのまん中、本航路筋から一寸だけ北へ入ったところにあって、ここには電報を取扱って呉れる郵便局があり、背後の急傾斜の山を利用して拵えた船舶給水の設備があり、船の一寸した故障などは気軽に直して呉れるドックがあり、それに石粉の産地でもあるので、よく船主への連絡電報を打って、序でに水も取って行こうという若松通いの運炭船、石粉積取りの機帆船、その他もろもろの小型の船、船、船が集まってくるところであるが、実は以上の理由の外にもう一つ、木之江という港にはこれらの船を引きつける大きな魅力というか、楽しい秘密が隠されていたところである、───それはここ名物のオチョロ舟である。

 オチョロ舟───猪牙(ちょき)船から出たという説もあるが、平家の落人たちが口過ぎのために始めたので上臈(じょうろう)船が訛ったのだという節もある。何れでもよろしいが、僕はこのオチョロ舟風景を見るために、さる年の夏、わざわざここ木之江までやってきたことがある。いや全くこれは天下の奇観であった。

 松本楼という、旅館兼料理屋の三階から、手摺りにもたれながら見物したわけであるが、見ていると面白い。いやそう思って見たからかも知れないが、日はまだ高いのに、五、六隻の石炭艀(はしけ)を引っ張った運炭船など、この港の沖までやってくると、ピタリと坐り込んでしまって動こうとしない。まるで駄菓子屋の前まで来て、子供の方からは何の請求もしてないのに、親の方から「何か買ってあげよかネ」といった工合に、テレ臭そうに、立ち止っているように見える。夕景が近づくにつれて、腹痛を起こしたような船、疲れてもう一歩も歩けなくなったといったような船が、だんだんとその数を増してくる。

 十七時になる。と、向かって右の鼻にある天満、左にある一貫目の防波堤の上に、スルスルと一旒ずつの赤旗が揚がる。赤旗といっても共産党の合図とは違う。そうするうちに、横の方からギーギーと艫(ろ)べそを鳴らしながら小舟が現れて来る。次から次へと現れて来る。遅れて出てくる舟でも、チャンと若番の列の中へ割り込んで来たりするところを見ると、どうやら序列が決まっているらしい。どの舟にも、派手な浴衣やワン・ピースを着た、島田やパーマの姐さん達が四、五人ずつ乗っていて、それが天満の方に十五、六隻、一貫目の方に七、八隻並んだ。

 十七時半になる。と、今度は嚠喨(りゅうりょう)たるラッパが鳴り響いた。と、これは凄い。いつの間にか長袖を捲り上げていた姐さんたちが、丁度ボート・レースのスタートを切った選手たちのように、一斉に力漕また力漕、これはと思う獲物に向かって、右へ、左へ、前へ、斜めに、おのがじし突進して行った。

 娘子軍とはよくいった。目指す本船にドンと舳(みよし)をぶつ突けたかと思うと、一人が尻餅をついている間に、一人はもうヒラリと本船に飛び移って、はや船長さんの胸倉を捕えて直談判に及んでいるし、後に続くもう一人の嬢は、うれしい悲鳴の機関長さんを追いかけ廻している。まさに三島水軍奮戦の図をそのままの勇ましい眺めであった。

 このオチョロ舟の姐さん達、常備二百余名。

 船の中では、汚れもののススキ洗濯から、晩のおかず拵らえ、晩酌の相手、小唄の低唱など───すべて一夜妻のサービスをして、当時のお金で三円五十銭。

 何?一体いつごろの話かですって?

 いや、そういえばそうですな、これは昭和十年ころの話。昭和三十三年の四月から売春防止法が施行せられましたから、いまはもうありません。

夕あかね 木の江の空の 褪(あ)するころ ちょろの船出の 喇叭(らっぱ)聴ゆる─吉井 勇
あかねさす 明神丸の 船腹に ちょろ舟着きて たそがれにけり─吉井 勇
夏くれば 木の江のみなとの 船君の 厚おしろいの 暑かりしかな─吉井 勇
青首の 鴨ならなくに 水の上に ひと夜浮寝の たわれめあわれ─吉井 勇
櫓櫂(ろかい)こいしや夕凪にくや 恋し木の江は まだ見えぬ─舟唄

2012.10.07 旅ノオト⇒「潮待ち、風待ち」の町、木の江

は参考の為で、所持していません。

■近代広島・尾道遊郭志稿 附録:酒癖20道開封
著 者:忍 甲一
発行社:日本炎災資料出版
印刷所:ミカド製版・オカモト・和田印刷
サイズ:B5、ページ数 460
発行年:2000年10月2日
定 価:10000円