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2018年9月28日金曜日

トロッコ軌道跡ー兵庫県朝来市生野町(2018.09.23)

◆トロッコ軌道跡
大正 9(1920)年
兵庫県朝来市生野町口銀谷
※2018.09.23撮影
 
このトロッコ軌道跡は、生野の町を走っていた馬車鉄道を廃止して、大正9年(1920年)に電車軌道として完成しました。市川にアーチ型に石垣を積んで、川に張り出して線路を確保されており、今もその美しい姿を見ることができます。当時は生野鉱山本部から生野旧駅までの間を、アメリカ製の6トン電気機関車が500ミリ軌道で結んでいました。現在、軌道の残る遊歩道として整備されています。近くにある姫宮橋から眺める市川とトロッコ軌道跡の景観は絶景です。
ー生野NAVIより転載ー








2016年5月3日火曜日

【明治村 27】西園寺公望別邸「坐漁荘」-静岡県清水市(2016.04.30) ×未確認

■西園寺公望別邸「坐漁荘」
大正 9(1920)年
旧所在地 静岡県清水市興津町
博物館明治村3丁目27番地
※2016.04.30未確認

★以下は、画像整理用覚書


西園寺公望は明治3年(1870)法学を学ぶため渡仏、10年間滞在した後帰国し、中江兆民等と東洋自由新聞を発刊、ブルジョア自由主義の普及に努める。廃刊後は政府に入り、憲法調査のため伊藤博文に従って外遊、次いで各国公使、各大臣を歴任し、明治39年(1906)には伊藤博文のあとを受け、政友会を率いて内閣を組織した。その政治姿勢は終始平民主義を貫き、その後、我が国の元勲と呼ばれるにいたった。

この「坐漁荘」は西園寺公望が政治の第一線から退いた後、大正9年(1920)に駿河湾奥、清水港近くの興津の海岸に建てた別邸である。旧東海道に沿って建てられた低い塀の奥に、玄関、台所、二階建座敷等の屋根が幾重にも重なる。木造桟瓦葺で軒先に軽い銅板を廻らした純和風建物であるが、小屋組には強い海風に耐えられるよう工夫がみられ、梁を斜めに渡し、鉄筋の水平筋違いを十字に張っている。
「坐漁荘」の名には"なにもせず、のんびり坐って魚をとって過ごす"という意味がこめられていたが、実際には事あるごとに政治家の訪問を受けざるを得なかった。

現在、二階の座敷の障子を開け放つと、遠い山並みを背景に入鹿池が見渡せる。興津に建てられた当時は、右手に清水港から久能山が、左手に伊豆半島が遠望された。

昭和4年(1929)、海に面した座敷の横に洋間が、又、その奥には脱衣室を兼ねた化粧室や洋風便器の置かれた便所等が増築された。晩年になって別邸に洋間を設けたことは、若い時から西欧に遊学し、洋風生活に親しんでいたとは言え、洋間の居住性を評価する上で面白い。

2016年4月26日火曜日

ダブルハウス―滋賀県近江八幡市(2016.04.23)

■佐藤、諸川氏邸(旧近江ミッション・ダブルハウス)
大正 9(1920)年
滋賀県近江八幡市池田町
ヴォーリズ建築事務所
※2016.04.23撮影

この建物は近江ミッションの米国人スタッフのための住宅で、ダブルハウスと称されるコロニアル・スタイルの二世帯住宅。最初に入居したのはヴォーリズの両親と米国の建築技師で、その後も近江ミッションの人たちに受け継がれ、佐藤、諸川両家の住宅として現在も使われている。この作品はヴォーリズにとっても会心の出来栄えだったようで、1923(大正12)年に著した「吾家の設計」のなかで合理的な間取りと小住宅の設計例として取り上げられている。
ウォーターハウス2階から見たダブルハウス













2015年8月4日火曜日