■志貴県主神社(しきあがたぬしじんじゃ)
明治 5(1872)年
大阪府藤井寺市惣社1-6-23
主 祭 神 神八井耳命
社 格 等 式内社(大)・河内国総社・村社
※2016.10.29撮影
◆大阪高低差学会 2016 秋のフィールドワーク「道明寺」
神武天皇の長子である神八井耳命を主祭神とし、伊勢大神(天照大神)・春日大神(天児屋命・比咩大神・武甕槌命・経津主命)・住吉三柱神・神功皇后を配祀する。ただし、『河内名所図会』では祭神を「磯城県主黒速」としている。
2016年11月3日木曜日
2016年11月2日水曜日
道明寺-大阪府藤井寺市(2016.10.29)
■道明寺
6世紀末
天正 3(1575)年 大火で焼失
明治 5(1872)年 神仏分離によりこの地に移転
大阪府藤井寺市道明寺1-14-31
山 号:蓮土山
宗 派:真言宗御室派
本 尊:十一面観音菩薩(国宝)
開 基:土師連八嶋
札 所 等:尼寺三十六箇所23番、聖徳太子霊跡3番、河内飛鳥古社寺5番
文 化 財:木造十一面観音菩薩立像(国宝)
※2016.10.29撮影
◆大阪高低差学会 2016 秋のフィールドワーク「道明寺」

道明寺周辺は、菅原道真の祖先にあたる豪族、土師(はじ)氏の根拠地であった。道明寺は土師氏の氏寺土師寺として建立され、今の道明寺天満宮の前にあった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった。
延喜元(901)年、大宰府に左遷される道真がこの寺にいた叔母の覚寿尼を訪ね「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音のなからん里の暁もかな」と詠み、別れを惜しんだと伝えられる。この故事は、後に人形浄瑠璃・歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』「道明寺」の場にも描かれている。道真の死後、寺名は道明寺と改められるが、これは道真の号である「道明」に由来する。
天正 3(1575)年には、兵火で天満宮を含む寺の大部分が焼失するが、後に再興。明治 5(1872)年の神仏分離により道明寺天満宮境内から現在地に移転した。
6世紀末
天正 3(1575)年 大火で焼失
明治 5(1872)年 神仏分離によりこの地に移転
大阪府藤井寺市道明寺1-14-31
山 号:蓮土山
宗 派:真言宗御室派
本 尊:十一面観音菩薩(国宝)
開 基:土師連八嶋
札 所 等:尼寺三十六箇所23番、聖徳太子霊跡3番、河内飛鳥古社寺5番
文 化 財:木造十一面観音菩薩立像(国宝)
※2016.10.29撮影
◆大阪高低差学会 2016 秋のフィールドワーク「道明寺」

道明寺周辺は、菅原道真の祖先にあたる豪族、土師(はじ)氏の根拠地であった。道明寺は土師氏の氏寺土師寺として建立され、今の道明寺天満宮の前にあった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった。
延喜元(901)年、大宰府に左遷される道真がこの寺にいた叔母の覚寿尼を訪ね「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音のなからん里の暁もかな」と詠み、別れを惜しんだと伝えられる。この故事は、後に人形浄瑠璃・歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』「道明寺」の場にも描かれている。道真の死後、寺名は道明寺と改められるが、これは道真の号である「道明」に由来する。
天正 3(1575)年には、兵火で天満宮を含む寺の大部分が焼失するが、後に再興。明治 5(1872)年の神仏分離により道明寺天満宮境内から現在地に移転した。
2016年5月3日火曜日
【明治村 44】鉄道寮新橋工場(機械館)・リング精紡機・菊花御紋章付平削盤-東京都品川区(2016.04.30) ◎外観・内装
■鉄道寮新橋工場(機械館)・リング精紡機・菊花御紋章付平削盤
明治 5(1872)年
旧所在地 東京都品川区大井町
博物館明治村4丁目44番地
※2016.04.30撮影
★以下は、画像整理用覚書
日本の鉄道はあらゆる技術をイギリスから導入して開発された。明治5年(1872)に開業した新橋ステンショ(停車場)には、停車場本屋、乗降場、荷物庫、荷物積所、石炭庫、機関車庫、機関車修復所、御雇外国人官舎等が造られた。この中の機関車修復所が、ここに遺る新橋工場である。
鋳鉄柱をはじめ外壁の鉄板、サッシ等、全ての材料をイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建設された。中空鋳鉄柱の両側にツバを出して壁板を取り付け、又、鉄筋など細い鉄材で小屋組トラスを組み上げる等、鉄造プレハブ建築物としても重要なものであり、またきわめて単純で構造力学の理にかなったものである。
建設年代 明治35年(1902)
旧所在地 東京都
製作年代 1893年(明治26)
リング精紡機は、綿紡績の最終工程に使用される機械として、1828年アメリカのジョン・ソープによって考案された。その後様々な改良が重ねられ、特にプラット社製のリング精紡機は、当時世界中の紡績機械のなかでもっとも優秀なものといわれた。前紡工程の練紡機(粗紡機)より供給された粗糸を引き伸ばして所要の太さにしたのち、撚りをかけて糸とし、その糸を自動的に巻き取る機械である。この機械は三重紡績会社で使用され、日本の近代化に大きく寄与した。
製作年代 明治12年(1879)

明治 5(1872)年
旧所在地 東京都品川区大井町
博物館明治村4丁目44番地
※2016.04.30撮影
★以下は、画像整理用覚書
鋳鉄柱をはじめ外壁の鉄板、サッシ等、全ての材料をイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建設された。中空鋳鉄柱の両側にツバを出して壁板を取り付け、又、鉄筋など細い鉄材で小屋組トラスを組み上げる等、鉄造プレハブ建築物としても重要なものであり、またきわめて単純で構造力学の理にかなったものである。
現在、この建物は二棟が並んだ大きなものになっているが、はじめ新橋に建設された時は一棟だけで、大正のはじめ大井町への移設の際に拡張された。その際他から転用された鋳鉄柱等には「明治十五年東京鉄道局鋳造」と銘が鋳出されているが、これは明治10年代に早く舶来品を模して国産化が始められたことを物語る。
明治村では、広い工場の内部を明治の機械類の展示場として活用している。
明治村では、広い工場の内部を明治の機械類の展示場として活用している。
汐留火力発電所煙突基礎
旧所在地 東京都
汐留の近代化は、明治3年の測量、翌年の駅舎など鉄道関連施設の建設から始まった。明治5年に新橋停車場として開業して以来、大正3年に東京駅が開業し、汐留貨物駅と改称されるまで絶えず施設の拡充がなされた。しかし大正12年の関東大震災、昭和9年の汐留駅大改装により、明治期に建てられたほとんどの施設が姿を消した。
復原されているのは、明治35年に建設された火力発電所の煙突基礎部分である。この発電所の完成により新橋停車場内の必要電力のほとんどを供給することができるようになった。
復原されているのは、明治35年に建設された火力発電所の煙突基礎部分である。この発電所の完成により新橋停車場内の必要電力のほとんどを供給することができるようになった。
リング精紡機(重要文化財)
菊花御紋章付平削盤(重要文化財)
この機械は赤羽工作分局で岩手県の船舶修理工場向けに製造され、後に岩手県盛岡工業高校に引き継がれ実習用として大切に保管されてきた。
この平削盤は明治政府が殖産興業を推進するために設置した直轄工場で製造されたもので、日本の機械工業黎明期の実情を伝える工作機械として非常に重要である。
この平削盤は明治政府が殖産興業を推進するために設置した直轄工場で製造されたもので、日本の機械工業黎明期の実情を伝える工作機械として非常に重要である。
| 製作 | 工部省赤羽工作分局 |
|---|---|
| 全長 | 2,815mm |
| 全幅 | 1,230mm |
| 全高 | 1,680mm |
| テーブル長 | 2,060mm |
| テーブル幅 | 672mm |
ラベル:
【明治村】,
***【トラベル】20160430,
***【明治村44】鉄道寮新橋工場・機械館,
1872,
愛知県,
犬山市,
東京都,
東京都区部,
東京都品川区
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