明治37(1904)年
旧所在地 広島県佐伯郡沖美町
博物館明治村5丁目53番地
※2016.04.30撮影
★以下は、画像整理用覚書
小那沙美島燈台は、広島湾から瀬戸内海への出口、宮島の脇の小さな島である小那沙美島に明治37年(1904)建造された。
広島には明治6年(1873)に鎮台が置かれ、同19年(1886)には第五師団指令部が配備された。更に同21年東京築地にあった海軍兵学校が江田島に移され、続いて呉に鎮守府が開設される等、広島湾沿岸は軍事上、産業上の要所として重きをなしていた。日清戦争の際には広島に大本営が移され、広島の外港宇品から物資の輸送が行なわれており、日露戦争の際にも運輸本部が広島に置かれている。この燈台が造られたのは、その日露戦争の開戦前後で、わずか3ヶ月という短い期間で建造されている。
工期を短縮する目的と、急傾斜の山に造る上での便宜から、鋳鉄造の組み立て式燈台になっている。4段の円筒形燈柱に燈篭と天蓋が載せられており、高さは7m足らずである。光源にはアセチレンガスを用い、光度は60燭光、光の届く距離は約10kmであった
工期を短縮する目的と、急傾斜の山に造る上での便宜から、鋳鉄造の組み立て式燈台になっている。4段の円筒形燈柱に燈篭と天蓋が載せられており、高さは7m足らずである。光源にはアセチレンガスを用い、光度は60燭光、光の届く距離は約10kmであった