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2017年1月6日金曜日

【ホテル・旅館】法師①-石川県小松市(2016.12.04)

■法師  
養老 2(718)年
石川県小松市粟津町ワ46
0761-65-1111
http://www.ho-shi.co.jp/
※2016.12.04撮影
写真は後で追加します

【ホテル・旅館】法師②-石川県小松市(2016.12.04)

■法師  
養老 2(718)年
石川県小松市粟津町ワ46
0761-65-1111
http://www.ho-shi.co.jp/
※2016.12.04撮影
写真は後で追加します

【ホテル・旅館】法師③-石川県小松市(2016.12.04)

■法師  
養老 2(718)年
石川県小松市粟津町ワ46
0761-65-1111
http://www.ho-shi.co.jp/
※2016.12.04撮影
写真は後で追加します

【ホテル・旅館】法師(夕食)-石川県小松市(2016.12.04)

■法師  
養老 2(718)年
石川県小松市粟津町ワ46
0761-65-1111
http://www.ho-shi.co.jp/
※2016.12.04撮影
写真は後で追加します

【ホテル・旅館】法師(朝食)-石川県小松市(2016.12.05)

■法師  
養老 2(718)年
石川県小松市粟津町ワ46
0761-65-1111
http://www.ho-shi.co.jp/
※2016.12.05撮影
写真は後で追加します


日本自動車博物館①-石川県小松市(2016.12.05)

■日本自動車博物館
昭和53(1978)年 開館
石川県小松市二ツ梨町一貫山40番地
http://mmj-car.com/ 
※2016.12.05撮影
写真は後で追加します























■明治記念館
明治
石川県小松市二ツ梨町一貫山40番地

富山県西礪波郡水島村(現・小矢部市)役場などとして使われた明治中期の西洋館が、「明治記念館」として敷地内に移築されている。内部は公開日以外は非公開。

日本自動車博物館②-石川県小松市(2016.12.05)

■日本自動車博物館
昭和53(1978)年 開館
石川県小松市二ツ梨町一貫山40番地
http://mmj-car.com/ 
※2016.12.05撮影
写真は後で追加します

日本自動車博物館③-石川県小松市(2016.12.05)

■日本自動車博物館
昭和53(1978)年 開館
石川県小松市二ツ梨町一貫山40番地
http://mmj-car.com/ 
※2016.12.05撮影
写真は後で追加します


2016年12月4日日曜日

【石川県】小松市(未確認物件)

※実際に確認できてない、もしくは写真が撮れていない場所
 
■小松市立空とこども絵本館《絵本館ホール》(旧石川商銀信用組合小松支店)
昭和 5(1930)年
石川県小松市京町19-5
鉄筋コンクリート造2階建、建築面積143㎡、1棟

加能合同銀行小松支店として建設と伝える。スクラッチタイル張、コーナーに円筒形の階段室塔屋を配した建築構成に特徴がある。ドリス式オーダーに半円アーチやイオニア式キャピタルなどを組合わせた玄関枠の意匠と内部階段室の螺旋状階段の造形に見所がある。

■やまきゅう(旧山本久次商店)
昭和 5(1930)年
石川県小松市京町73

辰村組によって設計施工された。構造は鉄筋コンクリート造2階建てである。 平成3(1991)年に社名を山久(やまきゅう)に変更している。 以前の外壁は白色を基調にしていたが、現在は旧石川商銀信用組合小松支店と同じ茶色の外壁に塗り替えられている。

■小松市立空とこども絵本館(旧小松警察署庁舎)
昭和 7(1932)年
石川県小松市小馬出町10-3
階段室 鉄筋コンクリート造3階建、建築面積17㎡、外壁 鉄筋コンクリート造、延長42m、1棟

鉄筋コンクリート造,3階建の階段室及び三方に廻る外壁が当初のままで残る。外観は下層に筋面タイルを貼り,上層を洗い出し仕上げとする。正面中央上部のレリーフ,上層の窓上部の半アーチ形のタイル貼や陶器製の獣頭等で随所を飾り,特徴ある外観を形成する。

■石川県立小松高等学校《記念館》(旧石川県立第四中学校)
明治32(1899)年
石川県小松市丸内町二の丸15番
石川県第四中学校
石川県立第四中学校
石川県立小松中学校(小松高女)
能美郡立実科高等女学校
石川県能美郡高等女学校
石川県立小松高等女学校(小松市立高女)
小松実科高等女学校
小松市立高等女学校

■中出生肉本店
石川県小松市龍助町2

■個人邸
石川県小松市材木町

■能口建具店
石川県小松市龍助町

■北国銀行小松中央支店(旧西町支店)  
石川県小松市龍助町36
石川県小松市土居原町486

♨小松
石川県小松市本折町
石川県能美郡小松町字本折町(旧住所)

2016年5月3日火曜日

【明治村 15】第四高等学校物理化学教室-石川県金沢市(2016.04.30) △外観のみ(近景)

■第四高等学校物理化学教室
明治23(1890)年
旧所在地 石川県金沢市仙石町
博物館明治村2丁目15番地
※2016.04.30撮影























★以下は、画像整理用覚書


明治19年(1886)に「中学校令」が公布され、東京大学予備門が第一高等中学校に、大阪の大学分校が第三高等中学校に改組された。引き続き、翌年には仙台に第二、金沢に第四、熊本に第五高等中学校が設置され、明治27年(1894)の「高等学校令」により、いずれも高等学校に改称・改組された。
この物理化学教室は高等中学校時代の明治23年(1890)に創建され、以後、第四高等学校、金沢大学へと引き継がれてきた建物である。

近代化を推し進めようとする明治政府にとって自然科学教育は重要な課題で、明治5年(1872)公布された学制の「小学規則」の中にも窮理学(物理)、科学、博物、生理、の四科目があげられており、初等教育の段階から重きを置かれていた。中等・高等教育においても、実験まで含めた自然科学教育が実施され、ここに見るような物理化学教室が建設された。
もとはH型の大規模な建物であったが、明治村では中央部分だけを移築・保存している。木造桟瓦葺平家建であるが、階段教室の部分だけ一廻り大きくなっている。外壁は南京下見(なんきんしたみ)と呼ばれる洋風の張り方で、竪長の窓には下に上ゲ下ゲ窓、欄間(らんま)に回転窓が入れられている。又、軒裏には小さな換気口が数多くあけられ、実験室のドラフト・チャンバーとともに室内換気に効果をあげている。

棟札によれば、この建物の工事監督は文部省技師山口半六、設計者は同じく文部省技師の久留正道である。この二人はともに明治期の学校建築の功労者であるが、特に久留正道、西洋建築の理論や技術の研究を行い、「学校建築設計大要」等を著している。この階段教室も、そういった理論の裏付けのもとに、段の勾配、天井の高さ、窓の位置・大きさ等が設計されている。
この建物の一室は明治村の創立をはじめ、各方面に業績を残した故谷口吉郎氏と故土川元夫氏の顕彰室とし、室内に氏の遺品等を展示している。

谷口吉郎・土川元夫レリーフ(製作:菊池一雄)

明治村は、四高時代同級生であった東京工業大学教授で建築家の谷口吉郎と名古屋鉄道株式会社会長の土川元夫の発想と決意によって誕生した。

  • 谷口吉郎 1904-1979
  •  

  • 土川元夫 1903-1974

【明治村 34】第四高等学校武術道場「無声堂」-石川県金沢市(2016.04.30) ×未確認

■第四高等学校武術道場「無声堂」
大正 6(1917)年
旧所在地 石川県金沢市仙石町
博物館明治村4丁目34番地
※2016.04.30未確認(ToT)

★以下は、画像整理用覚書


古来、武士のたしなみとして剣術、柔術、水術等様々な武道が伝えられてきたが、明治初年の新しい学校体育では体操が中心で、武道はとりあげられなかった。明治15年(1882)嘉納治五郎が柔道を創始して古武道の改革をはかるが、これが下地となって、日清戦争後、15歳以上の強壮者に対し武道を正課外で習わせることが認められ、主として大学、高等学校の運動部の活動として普及をみるようになった。明治後期になると、国内全般に尚武的気風が高まり、それまで欧米式体育に対する反省もあって、学校体育に武道が加えられるようになった。
この「無声堂」は大正6年(1917)金沢の第四高等学校に建てられたもので、柔道、剣道、弓道三つの道場を兼ね備えた大きな洋風建築物である。木造下見板張桟瓦葺の余り派手さのない建物であるが、道場の床には工夫がみられ、柔道場では床の弾力を増すため床下にスプリングを入れ、剣道場では音の反響を良くするため床下に共鳴用の溝を掘っている。
長い年月にわたり、幾多の若人がこの「無声堂」で修練を積んできた。
茅葺の厚く深い軒の下には丸い的が置かれている。弓道場の正面は、雨戸を入れる戸袋まで左右に開くことができるため、さえぎるものは柱一本ない。小屋組の構造を合理的な洋小屋組にすれば、このように途中の柱を抜いて長大な間を架構することも比較的容易である。

2016年5月2日月曜日

【明治村 52】金沢監獄正門-石川県金沢市(2016.04.30) 〇外観のみ

■金沢監獄正門
明治40(1907)年
旧所在地 石川県金沢市小立野
博物館明治村5丁目52番地
※2016.04.30撮影
























★以下は、画像整理用覚書


明治5年(1872)「監獄則並図式」が公布される。これは近代的な監獄制度と、それに合った洋式の放射型監獄舎房の規範を示したものであった。この方針に沿って新監獄の建設が始まり、明治12年(1879)先ず六方放射型の宮城集治監が建設され、その後各地で建設が進んだ。金沢監獄が造られたのは明治40年(1907)のことである。南北250m、東西190mの敷地はレンガ造の高い塀で囲われ、唯一西面に開けられていたのがこの門であった。
レンガ造に石の帯状装飾を入れるのは当時の洋風建築の流行で、明治村の正門として使われている旧第八高等学校正門と比較してみるのも面白い。西洋の城郭の門にも似て、左右に二階建の看視塔を建て、中央にアーチ型の主出入口、両側に脇出入口を備えている。看視塔への出入口を門の内側にしか設けず、窓も小さくして鉄格子を入れていること等、閉鎖的でいかめしい感じを与えるものの、実に美しい門である。

【明治村 62】金沢監獄中央看守所・監房-石川県金沢市(2016.04.30) ◎外観・内装

■金沢監獄中央看守所・監房
明治40(1907)年
旧所在地 石川県金沢市小立野
博物館明治村5丁目62番地
※2016.04.30撮影







































★以下は、画像整理用覚書

金沢監獄では、広い敷地の北半分が管理のための建物群で占められ、南半分に舎房が置かれた。ここでも洋式舎房が採用されており、八角形の中央看守所を中心に、左右及び正面奥と左右斜め奥に五つの舎房が放射状に配され、右の舎房から順に第一、第二...第五舎房と名付けられた。
移築復原に当たっては、先の正門と中央看守所、第五舎房の一部だけが遺されたが、当時の洋式監獄の形を十分にうかがうことができる。
木造桟瓦葺で外壁に洋風下見板を張り、中央看守所の窓には上ゲ下ゲ硝子戸を建て込んでいる。外見上は普通の西洋館の外壁と変わらないが、実は三重壁になっており、内外が厳重に区切られている。建築技法だけに限って考えると、近代の防音、断熱の先駆的な実例とも言える。看守所上部の見張り櫓へは小屋裏を抜けて昇るようになっており、その高さは地上高12mに達する。
広い廊下の左右に独居房の重い扉が整然と並ぶ第五舎房の内部。扉の上には換気用の小窓が開けられ、衛生面に留意したことがうかがわれる。小屋組も合理的に設計されており、大梁の廊下部分は鉄筋に置き換えて組まれている。長い廊下の見通しを良くするための配慮であろう。
差渡し14mの広い中央看守所の中央には看視室が置かれ、ここから各舎房の廊下が一目で見渡せるようになっている。現在ここに置かれている看視室は金沢監獄のものではなく、網走監獄で使われていたものである。

2013年4月3日水曜日

【食べログ】北陸自動車道「尼御前SA」-石川県加賀市(2009/10/12)

■北陸自動車道「尼御前SA」
石川県加賀市美岬町尼ゴジ3-2番地外
※2009/10/12撮影(画像移動で現在、行方不明^^;)

2013年1月29日火曜日

【食べログ】2013 お節料理-石川県金沢市(2013.01.01)

■株式会社 浅田屋
石川県金沢市十間町23
076-255-6800

076-255-6868
※2013.01.01撮影


















■友人Yさん自家製
※2013.01.01撮影