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2011年11月22日火曜日

東浜町界隈の町並み-香川県高松市(2009.11.22)

■東浜町(旧八重垣遊廓)界隈の町並み
※2009.11.22撮影
※2009.11.23撮影


◆八重垣遊廓
「坂出」から「高松」へ入る際「せっかくだから」と夜のネオン瞬く城東園(旧八重垣遊廓)へ。翌朝、古い妓楼建築を見に行く前の下見って事でグルリと一周。 夜に高松港に着くと、まずここのネオンが目に入って「あ~やっと着いたな(^^;)」と思ったものだけど、時代の流れか不景気のせいか?この辺りの灯りもやや地味目。次の朝、再び確認に。ネオン街の朝の風景ってのはどこでも同じように、けだるくゆる~い感じ。新しい建物の間に、もう今は多分使われてはいないだろうけど、それらしい建物が数軒見つかった。昼間の一目でそれと解る『石鹸の国』も一応カメラに収めたが、それが目的ではないので、ここには掲載いたしません。


















娼芸二枚鑑札の色里

大阪と高松を結ぶフェリーが高松港に入る際、城東町に立ち並ぶソープランドのネオンが、まるで灯台の様に見える事があるのだという。高松の女性街は玉藻城の東側にあたる城東町(現東浜町)に置かれ、戦前の遊廓から戦後の赤線を経て、現在に至っている。

大正五年発行の『諸國廓巡禮』によれば、《遊廓は海岸の突出した岬にあって、入口の大門も物古りて趣がある。張見世もあれば女郎は奥深く潜むものもある。元は二枚鑑札(にまい)であったということだ。即ち女郎は三絃も弾く、謡もする、踊りもする…》『結ぶ縁(えにし)は八重垣遊廓(やえがきのくるわ)』

昭和のはじめには妓楼34軒に180人。『全国女性街ガイド』によれば戦後は《赤線は北の新地といって東浜一帯。54軒に170名ほど。きぬぎぬの別れに情緒があり、渡船場まで送ってくれ、渡しを渡ればすぐ桟橋。ほかに繁華街の片原町に30軒ほど…》-『赤線街を歩く2』木村聡著- P84・P85「高松」より-






片原町界隈の町並み-香川県高松市(2009.11.22)②

■片原町界隈の町並み②
※2009.11.22撮影
※2009.11.23撮影

















片原町界隈の町並み-香川県高松市(2009.11.22)①

■片原町界隈の町並み①
※2009.11.22撮影
※2009.11.23撮影


今は立派な橋がいくつも出来て車で行くにしても電車で行くにしても随分便利になったけど、私が子供の頃は、祖父母のいる「琴平」へ行くには、車に乗って神戸からフェリーで高松港まで行ってそこから国道を走るか、岡山まで新幹線で行ってそこから宇高連絡船に乗り、「高松」で琴電かJRに乗り換えて行った。

家族で移動の時はフェリー、私一人が祖父母の家に行く時は岡山経由。うんと幼いときは高松まで、小学校の高学年くらいになると琴平の駅まで祖父母か叔父叔母が迎えにきてくれている(それも後になるともう自分で勝手に店まで行っていた)という具合だ。今の子供たちは幾つくらいから一人で電車の乗り降りを覚えるのか判らないけれど、ガールスカウトに入ってたなんて事もあって、思えば私などは随分幼い頃から旅慣れた子供だったのかもしれない(笑)。いずれにしても「高松」は香川の玄関口、今回の旅で巡った香川県の中では「琴平」の次に馴染みのある街。

「瓦町」にあるホテルにチェックイン後は、夕食を取りにいくついでに「パラダイス通り」を探しに琴電に乗って「片原町」へ。昔の様にドアの開閉は手動ではなかったけど、あ~まだ切符は「切る」んですね。
 





















「大体、この辺かな?」と目星をつけて歩いてたら目の前に、やけにレトロな店構えの居酒屋を発見。名前も『ブギウギ亭』と洒落ている(店は【食べログ】として別途アップ)。上を見上げたら「あ~!ここやんか!(笑)」で、目的の場所は労せず見つかり、夕食もその店で取ることにした。






















翌日、もう一度明るい時間に場所を確認しにいく。さすが高松の中心地、三越を中心とした片原町商店街のメインストリートはお洒落な専門店なども立ち並び、この辺りは心斎橋界隈と比較してもそう遜色はない。ちょいと横丁に入れば、これまた私好みのディープな飲み屋街などもあり、もう一泊くらい出来たらここも制覇したかったな…と指を咥えながら歩く。









【食べログ】ブギウギ亭-香川県高松市(2009.11.22)

■ブギウギ亭
香川県高松市内町5-16
087-821-1828
営業時間 17:00~24:00
定 休 日
※2009.11.22撮影