■津坂洋服店
香川県丸亀市福島町
※2009.11.22撮影
旅の途中で、地元の方に近々取り壊しの話があがっている事をお聞きして大きなショックを受ける。西平山の『春駒』と同様に、関連の書物の写真などでよく観るあのステンドグラスの美しい建物は、両翼も既に片方は陥落しており見るも無残な姿で落下避けのホロに包まれていた
次にこの地を訪れる時には、ここには何の痕跡も残ってはいないであろう。別れの儀式として「津坂洋服店」の嘗ては扉のあった路地を散策・・・写真で観た時は、全部が前面と同じようなモルタル造りだと思っていたけれど、やはりこれも「看板建築」の一つ。暗い路地の奥には3件分の引き戸が続き、その先にはご近所みんなで使用する井戸がしつらえてあった。
■在りし日の「津坂洋服店」
■福島町(旧福島遊郭)付近の町並み
※2009.11.22撮影
日本全国津々浦々、1678年に刊行された「色道大鑑」に表記される当時の遊郭は25箇所(京島原、伏見夷町「撞木町」、伏見柳町、大津馬場町、駿河府中、江戸山谷「吉原」、敦賀六軒町、三国松下、奈良鴨川木辻、大和小網新屋敷、堺北高洲町、堺南津守、大坂瓢箪町「新町」、兵庫磯町、佐渡鮎川、石見温泉、播磨室小野町、備後鞆有磯町、広島多々海、宮島新町、下関稲荷町、博多柳町、長崎丸山町寄合町、肥前樺島、薩摩山鹿野田町「山ヶ野金山」)、この中に香川県の元色街は記載されていない。
香川県に残るそういった場所は公娼地としてスタートしたのではなく私娼地としてハッテンしてきたようだが、終焉はやはり同じ昭和33年のあの日。それからほぼ半世紀、この街はいつまでその息を密やかに保ち、いつその息の根を完全に絶ったのだろう?他の地が今も隆盛を極めているわけではなかったが、この街の衰退ぶりは目にあまるものがあった。シトシトと降る雨の中、傘をさしつつの旧郭巡りはより切ない・・・
■福島町(旧福島遊郭)付近の町並み
※2009.11.22撮影
現役の商店などもあり、まだ幾分、彩色に堪えうる「西平山」に比べて、こちらはもう恐ろしいほどの廃頽ぶり・・・特に福島の中心であった厳島神社天満宮の参道は立ち入るのもはばかれるほどのちょっと異様な雰囲気両側に並ぶのは、赤錆びたトタンに覆われた廃墟群。昔はこのあたり、その昔は琴平の参拝客で賑わっていたとの事だが、参拝への道が海上交通から陸上交通に変わった時、ここもその役目を終えてしまったのかもしれない・・・
■堀家時計店
昭和初期
香川県丸亀市西平山町98
木造2階建、瓦葺、建築面積125㎡
登録有形文化財
※2009.11.22撮影
■春駒
香川県丸亀市西平山町
※2009.11.22撮影
柳はまねく新堀の廓
大正5年に発行された『諸國廓巡禮』は弥次喜多式の読み物形式を取っていたが、実質はガイドブックに近く、全国二十箇所の遊廓が登場してくる。高松を発って金刀比羅宮を参詣した帰途、二人の主人公は丸亀にも立ち寄ることになる。
《不知案内の土地を肝太く足にまかせ来てみれば、「新堀」と「福島」、二つの遊廓が湾を隔てて対峙している。湾内の風景も中々好く、夕映えに林立する帆柱の影、さぞやと昔の船着偲ばれた…》。宿の女中の案内で二人が向かったのは新堀。娼妓と芸者を兼ねた二枚鑑札の女性が多かったといい、現れた女性も《芸妓と素人の合いの子風と言ってよい(なり)である…》。戦後、福島遊廓を訪れた『全国女性街ガイド』の著者・渡辺寛氏は《森の石松の遊んだ昔そのままに十六軒ほど軒をつらねている。青楼のつくりも古く、それも吉原より嶋原の風格があるので薄暗い》としるしている。-『赤線街を歩く2』木村聡著- P86・P87「丸亀」より-
■「諸國廓巡禮」
柳原煙苑著・日本書院・大正5年6月発行
■西平山町(旧新堀遊郭)界隈の町並み②
※2009.11.22撮影