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2013年3月22日金曜日

大和大路~お稽古路地-京都府京都市東山区(2013.03.20)

◆京都の住民がガイドする京都のまち歩きイベント「まいまい京都」さん
2013年3月20日(水・祝) 10:00~12:00

【花街】祇園町周辺の文学散歩~木屋町から祇園、安井、八坂神社まで~

【まいまい京都】祇園町のよこ道・裏みち①
http://yurakuteinichijyo.blogspot.jp/2012/05/20120506_17.html












白川沿い-京都府京都市東山区(2013.03.20)

◆京都の住民がガイドする京都のまち歩きイベント「まいまい京都」さん
2013年3月20日(水・祝) 10:00~12:00

【花街】祇園町周辺の文学散歩~木屋町から祇園、安井、八坂神社まで~

【まいまい京都】祇園町のよこ道・裏みち①
http://yurakuteinichijyo.blogspot.jp/2012/05/20120506_17.html

大正 4(1915)年3月20日(土)
朝静甚し。硝子戸の幕をひく。東山吹きさらされて、風料峭、比叡に雪斑々。忽ち粉雪、忽ち細雨、忽ち天日。三人で大石忌(※1)へ行く。小紋に三ツ巴の仲居。赤前垂。「此方へ」「あちらから」と鄭寧に案内する。-水川隆夫「漱石の京都」(漱石日記)より-

(※1)大石忌
歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の七段目「祇園一力茶屋の場」で知られている、四条花見小路の角にあるお茶屋「一力亭」で行われる行事。大石内蔵助の命日、3月20日(旧暦では2月4日)「一力亭」の仏壇には討ち入りそばや大石の好んだものが供えられる。馴染みのお客さんだけを招いて、「深き心」を井上八千代師が舞い、芸舞妓3人が地唄「宿の栄」を舞い、芸妓・舞妓さんたちにより抹茶や手打ちそばも振るまわれる。

意図してか?偶然か?ほぼ100年後の同日に「漱石の京都」に我々はいたわけですね(@o@)


















祇園町南側-京都府京都市東山区(2013.03.20)

◆京都の住民がガイドする京都のまち歩きイベント「まいまい京都」さん
2013年3月20日(水・祝) 10:00~12:00

【花街】祇園町周辺の文学散歩~木屋町から祇園、安井、八坂神社まで~

【まいまい京都】祇園町のよこ道・裏みち②
http://yurakuteinichijyo.blogspot.jp/2012/05/20120506_4236.html
【まいまい京都】祇園町のよこ道・裏みち④(弥栄会館)
http://yurakuteinichijyo.blogspot.jp/2012/05/20120506_9453.html
【まいまい京都】祇園町のよこ道・裏みち⑤(建仁寺)
http://yurakuteinichijyo.blogspot.jp/2012/05/20120506_3736.html

















八坂神社境内摂社「疫神社」-京都府京都市東山区(2013.03.20)

◆京都の住民がガイドする京都のまち歩きイベント「まいまい京都」さん
2013年3月20日(水・祝) 10:00~12:00

【花街】祇園町周辺の文学散歩~木屋町から祇園、安井、八坂神社まで~

■疫神社(やくじんじゃ)
京都府京都市東山区祇園町北側625 八坂神社境内摂社(※1)

祭神は「蘇民将来(そみんしょうらい)」。1月19日に例祭が行われ、7月31日に夏越祭(祇園祭のフィナーレ)がある。昔、祖神(おやがみ)が諸国を巡って、日暮れに一夜の宿を求めたところ、富み栄えていたにも関わらず巨旦将来(こたんしょうらい、蘇民将来の弟)は宿を貸さず、貧しかったけれど心根の良かった蘇民将来は宿を貸した上に粟の粥で手厚くもてなした。その時に祖神は「われはハヤスサノヲ(速須佐雄能神)の神なり」といい、後年疫病が流行しても茅の輪をつけて「蘇民将来の子孫なり」と唱えれば、災厄から免れしめると約束した。後に、巨旦将来の子孫は皆途絶え、蘇民将来は疫病にも無事で栄えたと伝えられている。

本日のまいまいはこちらで解散

















(※1)摂末社(せつまつしゃ)
神社本社とは別に、その神社の管理に属し、その境内または神社の附近の境外にある小規模な神社のことで、摂社(せっしゃ)と末社(まっしゃ)と併せた呼称。枝宮(えだみや)・枝社(えだやしろ)ともいう。

2012年05月06日に巡検した日に、先生が見つけられた「大友(だいとも)のおタカ(磯田多佳)さん」の名の残る玉垣。





















【巡検】花洛名勝図会を追って①(八坂神社)
http://yurakuteinichijyo.blogspot.jp/2012/05/20120506_642.html

他にも著名な名妓さんの名前が見うけられ、花街の方たちの信仰の深さが偲ばれる。

鈴木小三さんの写真は、なぜか?下記のページで見つけました。祇園と琉球との関連性がわからず当初は???でしたが、なるほど小三さんのお父様繋がり?当時の花街には、こういった著名な方のご落胤が沢山いらっしゃったのでしょうねぇ。私の好きな女帝『花舞』ストーリー(笑)

「琉文21」- 関西沖縄誌①
http://ryubun21.net/index.php?itemid=2691

鳥取藩士松田道之と祇園下河原の大和屋お里との間に、ぎん(鈴木小三)が生まれる。

松田道之(まつだ みちゆき)
天保10年5月12日(1839年6月22日)~明治15年(1882年7月6日)
日本の内務官僚・政治家。大津県令、滋賀県令(初代)、東京府知事(第7代)などを務めた。琉球処分において中心的な役割を果たしたことで知られる。鳥取藩家老・鵜殿氏の家臣久保居明の次子として生まれ藩医木下主計にはじめ養われのち松田市太夫の嗣子となる。咸宜園に学ぶ。幕末は尊皇攘夷運動に傾倒し、明治維新後に内務官僚となる。内務大書記官、京都府大参事、内務大丞などを経て1871年、大津県令に就任。1872年、滋賀県令に就任。1875年、琉球処分官として沖縄を視察。以後1879年まで、琉球処分官として3回沖縄を訪問し、1879年の琉球処分断行に尽力した。同年、東京府知事に就任。1882年、若くして死亡した。