■旅情瀬戸内海
著 者:布田 源之助(ふだ げんのすけ)
発行社:海文堂
印刷所:凸版印刷株式会社関西事業部
サイズ:ページ数 348
発行年:昭和37(1962)年05月30日
定 価:600円
✍木之江 P240
木之江という港は、大山秖神社のある大三島の西に浮かぶ、大崎上島の東の海に面した小さな港で、宮の浦港とは一衣服帯水のところにある。
丁度、阪神と関門とのまん中、本航路筋から一寸だけ北へ入ったところにあって、ここには電報を取扱って呉れる郵便局があり、背後の急傾斜の山を利用して拵えた船舶給水の設備があり、船の一寸した故障などは気軽に直して呉れるドックがあり、それに石粉の産地でもあるので、よく船主への連絡電報を打って、序でに水も取って行こうという若松通いの運炭船、石粉積取りの機帆船、その他もろもろの小型の船、船、船が集まってくるところであるが、実は以上の理由の外にもう一つ、木之江という港にはこれらの船を引きつける大きな魅力というか、楽しい秘密が隠されていたところである、───それはここ名物のオチョロ舟である。
オチョロ舟───猪牙(ちょき)船から出たという説もあるが、平家の落人たちが口過ぎのために始めたので上臈(じょうろう)船が訛ったのだという節もある。何れでもよろしいが、僕はこのオチョロ舟風景を見るために、さる年の夏、わざわざここ木之江までやってきたことがある。いや全くこれは天下の奇観であった。
松本楼という、旅館兼料理屋の三階から、手摺りにもたれながら見物したわけであるが、見ていると面白い。いやそう思って見たからかも知れないが、日はまだ高いのに、五、六隻の石炭艀(はしけ)を引っ張った運炭船など、この港の沖までやってくると、ピタリと坐り込んでしまって動こうとしない。まるで駄菓子屋の前まで来て、子供の方からは何の請求もしてないのに、親の方から「何か買ってあげよかネ」といった工合に、テレ臭そうに、立ち止っているように見える。夕景が近づくにつれて、腹痛を起こしたような船、疲れてもう一歩も歩けなくなったといったような船が、だんだんとその数を増してくる。
十七時になる。と、向かって右の鼻にある天満、左にある一貫目の防波堤の上に、スルスルと一旒ずつの赤旗が揚がる。赤旗といっても共産党の合図とは違う。そうするうちに、横の方からギーギーと艫(ろ)べそを鳴らしながら小舟が現れて来る。次から次へと現れて来る。遅れて出てくる舟でも、チャンと若番の列の中へ割り込んで来たりするところを見ると、どうやら序列が決まっているらしい。どの舟にも、派手な浴衣やワン・ピースを着た、島田やパーマの姐さん達が四、五人ずつ乗っていて、それが天満の方に十五、六隻、一貫目の方に七、八隻並んだ。
十七時半になる。と、今度は嚠喨(りゅうりょう)たるラッパが鳴り響いた。と、これは凄い。いつの間にか長袖を捲り上げていた姐さんたちが、丁度ボート・レースのスタートを切った選手たちのように、一斉に力漕また力漕、これはと思う獲物に向かって、右へ、左へ、前へ、斜めに、おのがじし突進して行った。
娘子軍とはよくいった。目指す本船にドンと舳(みよし)をぶつ突けたかと思うと、一人が尻餅をついている間に、一人はもうヒラリと本船に飛び移って、はや船長さんの胸倉を捕えて直談判に及んでいるし、後に続くもう一人の嬢は、うれしい悲鳴の機関長さんを追いかけ廻している。まさに三島水軍奮戦の図をそのままの勇ましい眺めであった。
このオチョロ舟の姐さん達、常備二百余名。
船の中では、汚れもののススキ洗濯から、晩のおかず拵らえ、晩酌の相手、小唄の低唱など───すべて一夜妻のサービスをして、当時のお金で三円五十銭。
何?一体いつごろの話かですって?
いや、そういえばそうですな、これは昭和十年ころの話。昭和三十三年の四月から売春防止法が施行せられましたから、いまはもうありません。
夕あかね 木の江の空の 褪(あ)するころ ちょろの船出の 喇叭(らっぱ)聴ゆる─吉井 勇
あかねさす 明神丸の 船腹に ちょろ舟着きて たそがれにけり─吉井 勇
夏くれば 木の江のみなとの 船君の 厚おしろいの 暑かりしかな─吉井 勇
青首の 鴨ならなくに 水の上に ひと夜浮寝の たわれめあわれ─吉井 勇
櫓櫂(ろかい)こいしや夕凪にくや 恋し木の江は まだ見えぬ─舟唄
2012.10.07 旅ノオト⇒「潮待ち、風待ち」の町、木の江
※ ↓ は参考の為で、所持していません。
■近代広島・尾道遊郭志稿 附録:酒癖20道開封
著 者:忍 甲一
発行社:日本炎災資料出版
印刷所:ミカド製版・オカモト・和田印刷
サイズ:B5、ページ数 460
発行年:2000年10月2日
定 価:10000円
2012年10月17日水曜日
2012年10月16日火曜日
木の江の町並み-広島県豊田郡大崎上島(2012.10.07)①
■大内邸
大正 3(1913)年
所有者:大内章
5階建て
※2012.10.07撮影
中尾醸造株式会社「蔵元だより」No.3『特集 木江を歩く』によると、木造五階建ての豪邸-大正2年、当時、造船業を営んでいた長屋源吉さんが、船主など接待用のクラブを兼ねた料亭として建てたもの云々…となっていますが、 その後、大内氏に譲ったのか?その辺りの経緯は不明。しかしながら、木の江に現存する五階建てはこの建物だけのようですので、当ブログでは「大内邸」の表記を取らせて頂きたいと思います。
木江浦ぶし
作詞・野口雨情/作曲・藤井清水
知らぬ振りして ハコラヤノヤット
沖ゆく舟もヨ 暮れりゃ アラヤットンナ
暮れりゃ マタヤアホウ
暮れりゃ木の江さ
寄せて来る ナ 寄せて来る
忘れなさるな ハコラヤノヤット
神の峰下はヨ いとし アラヤットンナ
以下八節(省略)
■大崎上島町役場725-0231
広島県豊田郡大崎上島町東野6625-1
0846-65-3111
http://www.town.osakikamijima.hiroshima.jp/
【未確認】
■山田邸※鮴地域
■三好邸※鮴地域
平成19年解体
■宮崎邸(旧宮崎旅館)※鮴地域
■大瀬邸※中野地域・大西
☆野口雨情・作詞数首の中より
はれて涼しい月夜の晩は
川の流れもしたしたと
☆吉井勇・六首の中より
思うこと遠くはるけししずかなる
木の江の海の夕凪のいろ
大正 3(1913)年
所有者:大内章
5階建て
※2012.10.07撮影
中尾醸造株式会社「蔵元だより」No.3『特集 木江を歩く』によると、木造五階建ての豪邸-大正2年、当時、造船業を営んでいた長屋源吉さんが、船主など接待用のクラブを兼ねた料亭として建てたもの云々…となっていますが、 その後、大内氏に譲ったのか?その辺りの経緯は不明。しかしながら、木の江に現存する五階建てはこの建物だけのようですので、当ブログでは「大内邸」の表記を取らせて頂きたいと思います。
木江浦ぶし
作詞・野口雨情/作曲・藤井清水
知らぬ振りして ハコラヤノヤット
沖ゆく舟もヨ 暮れりゃ アラヤットンナ
暮れりゃ マタヤアホウ
暮れりゃ木の江さ
寄せて来る ナ 寄せて来る
忘れなさるな ハコラヤノヤット
神の峰下はヨ いとし アラヤットンナ
以下八節(省略)
■大崎上島町役場725-0231
広島県豊田郡大崎上島町東野6625-1
0846-65-3111
http://www.town.osakikamijima.hiroshima.jp/
【未確認】
■山田邸※鮴地域
■三好邸※鮴地域
平成19年解体
■宮崎邸(旧宮崎旅館)※鮴地域
■大瀬邸※中野地域・大西
☆野口雨情・作詞数首の中より
はれて涼しい月夜の晩は
川の流れもしたしたと
☆吉井勇・六首の中より
思うこと遠くはるけししずかなる
木の江の海の夕凪のいろ
木の江の町並み-広島県豊田郡大崎上島(2012.10.07)②
この辺りはガイドさんなく自分たちで目的地を探しながら歩いたので、何度も往復したような気がするのですが、なぜか主要な建築物ははずしてます(涙)
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| これは3階建てなので多分「波多野邸」だと思うのですが |
■波多野邸
大正時代
所有者:波多野千年板
無住
■矢野邸
大正
所有者:矢野菊江
■岡藤自転車店(旧昭栄館)
昭和 8年
平成17年解体
■田中邸
縁側の手摺り、趣向を凝らした戸袋、漆喰の欄間等、繁栄の頃が忍ばれる華麗な建物
2階建て
木の江の町並み-広島県豊田郡大崎上島(2012.10.07)③
■宇浜区
広島県豊田郡大崎上島木江
※2012.10.07撮影
木江港の北側。『一貫目』桟橋付近一帯。今年(2012年)の5月に発売された『古今東西風俗散歩』の著書である風きよし氏のブログに紹介されている宇浜区は2007年に撮影されているようですが、それから約5年経った今、既にこの状態…(T^T)
広島県豊田郡大崎上島木江
※2012.10.07撮影
木江港の北側。『一貫目』桟橋付近一帯。今年(2012年)の5月に発売された『古今東西風俗散歩』の著書である風きよし氏のブログに紹介されている宇浜区は2007年に撮影されているようですが、それから約5年経った今、既にこの状態…(T^T)
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