2018年9月28日金曜日

三菱マテリアル㈱生野事業所現綜合事務所(旧混こう所)ー兵庫県朝来市生野町(2018.09.23)

◆三菱マテリアル㈱生野事業所現綜合事務所旧混こう所)
明治8(1875)年
兵庫県朝来市生野町口銀谷985
※2018.09.23撮影

















三菱マテリアル㈱生野事業所(太盛通洞抗口)ー兵庫県朝来市生野町(2018.09.23)

◆三菱マテリアル㈱生野事業所(太盛通洞抗口
大正5(1916)年
兵庫県朝来市生野町口銀谷985
※2018.09.23撮影






三菱マテリアル㈱生野事業所(旧三菱購買部)ー兵庫県朝来市生野町(2018.09.23)

◆三菱マテリアル㈱生野事業所(旧三菱購買部)
大正7(1918)年
兵庫県朝来市生野町口銀谷985
※2018.09.23撮影














甲社宅・志村喬記念館(旧生野銀山職員宿舎)ー兵庫県朝来市生野町(2018.09.23)

甲社宅・志村喬記念館旧生野銀山職員宿舎)
明治 9(1876)年頃
兵庫県朝来市生野町口銀谷687-1
※2018.09.23撮影
 
明治元年(1868年)、生野鉱山が我が国初の官営鉱山となり、政府はフランス人鉱山技師を招聘するなど近代化を進め、町内には外国人たちが暮らす洋館のほかに、日本人用の官舎も造られました。明治29年(1896年)には当時所管であった宮内省から三菱合資会社に払い下げられ、以来三菱の鉱山として栄えてきました。朝来市旧生野鉱山職員宿舎には4棟の建屋、甲7.8.9.19号棟があります。甲7号、8号、9号の3棟は官営鉱山であった頃の明治9年(1876年)に官舎として、19号棟は明治29年に三菱の社宅として建てられた、生野に現存する職員住宅のなかでも最も古く日本近代の生活様式を残す貴重な遺構です。
ー生野NAVIより転載ー