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2017年8月30日水曜日

アメリカ旅行(United States Travel)-State of California(1980.03)⑥

■アメリカ旅行
※1980.03撮影

1980年、二十歳の時、卒業旅行としてアメリカ合衆国(United States of America)カリフォルニア州(State of California)に旅をしました(生まれて初めての海外旅行です)。その際に撮った写真を2017年8月スキャンしなおしました。バラバラに管理してたものを38年後💦である今、整理しなおした為、日程等はっきりしません。スクラップブックに貼り付けていた写真を元に立ち寄った場所を順番に並べていきます。

◆Saints Peter and Paul Church(聖ピーター&ポール教会)
666 Filbert St, San Francisco, CA 94133

ウーピー・ゴールドバーグ主演の「天使にラブ・ソングを…」の舞台。この映画は1992年に公開なので、私たちが行った時はフツーの教会でした。















◆San Francisco Zoo(サンフランシスコ動物園)
Sloat Blvd & Great Hwy, San Francisco, CA 94132

とにかくこの旅行は、S&G(サイモンとガーファンクル)ファンで、映画「卒業」にインスパイアされて立てた計画なので、舞台となったUCバークレー、ベイブリッジ、サンフランシスコ動物園は外せないのでした(笑)。

で、落とした1セントを拾ってあげた事がきっかけでお友達になったUCバークレーの学生さん、ウェンディとお友達になってお家にまで招待してもらうと言う、映画さながらのシチュエーションも経験。これもバックパッカーに近い自由旅行の楽しさです。




































◆University of California, Berkeley(カリフォルニア大学バークレー校)

☞カリフォルニア州バークレー市に、200エーカーに及ぶ丘陵および、バークレー・ヒルズの1000エーカーを含む1232エーカーの巨大キャンパスを有する。300以上の学部、大学院教育プログラムを提供し、幅広い研究、教育で知られる。一般的には「UCバークレー」もしくは略称・愛称であるCal(キャル)、UCBなどと呼称される。モットーは "Fiat lux"(そこに光あれ / Let There Be Light)






2016年10月6日木曜日

愛媛県教育会館-愛媛県松山市(2016.09.24)

■愛媛県教育会館
昭和12年(1937)年
愛媛県松山市北持田町131-1
089-941-6274
設計:浅香了輔
施工:高石岩五郎
※2016.09.24撮影

昭和8年(1933年)愛媛県教育会総会で、県内教職員研修の場を目的とする愛媛県教育会館の建設を満場一致で可決した。選ばれた地は松山城東の電車通りに近い場所で、毎年春の市が開催されたり、時には第22連隊の演習などに使用されていた。

建物は、昭和12年(1937年)の建築で、木造3階建、鉄板葺、愛媛県技師・浅香了輔の設計によるもので、縦長の上げ下げ窓など洋風意匠を基調とし、和風装飾を組み合わせる昭和前期に特徴的な意匠をもつ。

木材は主として栂や桜が使用され、玄関を入ると広い階段を通して2階講堂に通じている。1階は事務所、役員室、貴賓室、会議室、食堂兼応接室。3階には張り出し桟敷、教育参考室、図書閲覧室が設けられている。


総工費は76,419円で、当時県内約6,000人の教職員が毎月棒給の千分の一5年にわたって分納、その他松山市と温泉郡に住む教員の特別寄附などによって賄われた。











2016年9月7日水曜日

大阪市立工芸高等学校本館①-大阪市阿倍野区(2016.09.03)

■大阪市立工芸高等学校本館
大正12(1923)年
大阪府大阪市阿倍野区文の里1-7-2
大阪市建築課
RC造りレンガ張り
http://www.ocec.ne.jp/hs/kogei/
※2016.09.03撮影

大正末期から昭和初期は、新しい教育運動が盛んになり、自由・創造・個性などを強調した教育振興の時代といわれる。大阪市立工芸高等学校は大正12年(1923)4月に開校し、同13年に校舎の完成と共に現在地に移転した。

本館の平面はL字形、片廊下で、コーナー部に玄関を置くというものであり、構造は鉄筋コンクリート3階建てで、小屋組は鉄骨組みである。校舎は敷地の北西隅にL字形の本館を配置し、その隅部に門に接して玄関を開く。このような、校舎を道路に近づけ、前庭を最小限とし玄関を置くという配置は、学問、特に実業学校においては現実の社会と密接な連携を保つべき、ということを意図したものであるという。特筆すべきはその外観のデザインにある。重厚でありながらロマンあふれる形であり、一般にアールヌーボーと総称される建築様式である。1・2階の外壁はレンガ積みであり、隅部の玄関入口は大アーチとし、正面感を引き立てている。3階部分はゆるやかな曲線をもつマンサード風の急勾配の屋根がかけられているが、教室部分は窓および外壁を立ち上げ、これにより屋根を区切っているため、屋根の曲線が一層強調されるという効果を生み、外観全体を極めて特徴的なものとしている。また屋根上にはシンボルの時計塔がそびえ、外観をより印象的なものとしている。

この建物のデザインの原型となったのは、ドイツ、ワイマールの工芸学校(1907年)であったとの指摘がある。設計者のヴァン・デ・ヴェルデは自ら工芸学校の校長を勤め、学生の自由な創造性と自然な感性の発展を基調とする新しい教育方法を形成したことで知られており、後に総合造形教育をめざしたバウハウスに発展させた。工芸高等学校の本館は、新しいデザイン教育の中心であったワイマールの工芸学校を手本にすることで、新しい時代の造形教育の殿堂づくりをめざした当時の教育関係者の情熱を今に伝えるものといえる。設計は大阪市営繕課によるもので、その担当者は矢木英夫(大正9~昭和6まで大阪市に勤務)ではないかといわれている。
 
平成6~8年にかけて、耐震壁の増設をはじめとした建物の改修工事が行われ、外観は創建時の装いを取り戻した。