■莫大小会館
昭和 4(1929)年 建築
昭和12(1937)年 第二期工事増築
大阪府大阪市福島区福島3-1-39
宗建築事務所/大阪橋本組
当初3階・地下1階、現在4階
※2017.02.16撮影
2019年2月16日土曜日
LADS GALLERY(ラッズギャラリー)-大阪府大阪市福島区(2017.02.16)
■LADS GALLERY(ラッズギャラリー)
〒553-0003
大阪市福島区福島 3-1-39 メリヤス会館 1F
Tel/Fax 06-6453-5706
E-Mail lads@sea.plala.or.jp
※2017.02.16撮影
◆小橋 慶三 [396♦369]
micuro miroQu Keizo Kobashi Exhibition
2017.2.14(火)~2.23(木)
開廊:12:00~19:00(月曜休廊・最終日17:00まで)
〈小橋慶三 略歴〉
1945年 大阪市生まれ。1963年 大阪市立工芸高校写真工芸科卒業後、Nデザイン事務所
写真スタジオに所属。浅野孟府(彫刻家)、新居義久(土門拳門下)に師事する。
1968年 博報堂(大阪)制作部、1969年 高島屋(大阪)宣伝部写真課を経て、1980年
よりフリーの写真家として活動。2000年-2001年 近畿大学文芸学部芸術学科非常勤講師。
〒553-0003
大阪市福島区福島 3-1-39 メリヤス会館 1F
Tel/Fax 06-6453-5706
E-Mail lads@sea.plala.or.jp
※2017.02.16撮影
◆小橋 慶三 [396♦369]
micuro miroQu Keizo Kobashi Exhibition
2017.2.14(火)~2.23(木)
開廊:12:00~19:00(月曜休廊・最終日17:00まで)
〈小橋慶三 略歴〉
1945年 大阪市生まれ。1963年 大阪市立工芸高校写真工芸科卒業後、Nデザイン事務所
写真スタジオに所属。浅野孟府(彫刻家)、新居義久(土門拳門下)に師事する。
1968年 博報堂(大阪)制作部、1969年 高島屋(大阪)宣伝部写真課を経て、1980年
よりフリーの写真家として活動。2000年-2001年 近畿大学文芸学部芸術学科非常勤講師。
ラベル:
***【芸術】小橋慶三(写真),
***【設計】宗建築事務所,
****【大阪】莫大小会館,
**ギャラリー,
1929,
大阪市,
大阪市福島区,
大阪府
2014年4月4日金曜日
【関連書籍】流転の海 第二部 『地の星』
◆地の星 ―流転の海 第二部―
宮本輝(著)
新潮文庫
ISBN :978-4-10-130751-0
C-CODE:0193
発売日:1996/02/28
―――関西は、いま最も寒い時期を迎えたが、自分も妻も息災に暮らしている。商売のほうも、朝鮮戦争が終わった直後は、少し暇な時期があったが、去年のあたりから、得意先の方も増え、従業員も六人に増えて、まあまあ順調と言えるようだ。
きょう、このような下手な字で手紙をしたためたのは、余計なこととは知りつつ、松坂の大将は、もしかしたらこのままずっと、愛媛県の南宇和の郷里で一生をすごすかもしれないと言われた。しかし、気が変わって、再び大阪に戻られることがなきにしもあらずと思い、二つの土地と家が売りに出ていることをご報告する次第だ。
一件は大阪市北区中之島七丁目で、大阪中央市場と橋ひとつ隔たったところにある三階建ての鉄筋コンクート作りのビルだ。ビルは、堂島川と土佐堀のあいだの、土佐堀河畔に建っている。西へ行くと安治川沿いに大阪湾に達し、東へ行くと淀屋橋や北浜へつながる。北は玉川町から野田阪神へ。南は、本田町から九条へとつづく。説明するまでもないが、大阪市北区の最西端の要の様な立地条件で、ビルの斜め向かいには、電電公社の社屋もある。土地は百四十二坪。
このビルの持ち主は、戦争中に疎開したまま消息が絶えているのだが、持ち主の知人の話によると、このまま疎開先で暮らしたい意向のようで、いっときも早くビルと土地を売りたがっているらしい。
ビルは、戦後すぐに進駐軍に接収され、一階にも二階にも三階にも水洗便所が取りつけられている。土佐堀川にそのまま船を出せる地下室まであるのだが、それは米軍が接収したあと、何等かの理由で作られたそうだ。
もう一軒は、大阪市福島区上福島三丁目。昭和二十四年に建てられた木造の家で、土地は百二十坪。福島西通りの交差点の西側の角地にある。メリヤス問屋の店舗兼住居だ。持ち主の家庭の事情で、ことしの夏に岡山県に引っ越すことになった。だから、今年の八月末までは、いまの持ち主が住み続けるという条件つきだ。
この場所は、桜橋や梅田新道にも徒歩で行けるほどの立地条件で、松坂の大将もよくご存知のように、自動車の中古部品屋が軒を並べている。
どちらも価格に大差はない。自分はもし松坂の大将が大阪に戻って来る意志があれば、このどちらかの土地と家屋をお勧めしたいと考える。
いずれにしても買手は殺到してるので、松坂の大将のご意志を早急に知らせていただければありがたい―――。
-宮本輝「流転の海 第二部『地の星』第七章」丸尾千代麿の手紙-
宮本輝(著)
新潮文庫
ISBN :978-4-10-130751-0
C-CODE:0193
発売日:1996/02/28
―――関西は、いま最も寒い時期を迎えたが、自分も妻も息災に暮らしている。商売のほうも、朝鮮戦争が終わった直後は、少し暇な時期があったが、去年のあたりから、得意先の方も増え、従業員も六人に増えて、まあまあ順調と言えるようだ。
きょう、このような下手な字で手紙をしたためたのは、余計なこととは知りつつ、松坂の大将は、もしかしたらこのままずっと、愛媛県の南宇和の郷里で一生をすごすかもしれないと言われた。しかし、気が変わって、再び大阪に戻られることがなきにしもあらずと思い、二つの土地と家が売りに出ていることをご報告する次第だ。
一件は大阪市北区中之島七丁目で、大阪中央市場と橋ひとつ隔たったところにある三階建ての鉄筋コンクート作りのビルだ。ビルは、堂島川と土佐堀のあいだの、土佐堀河畔に建っている。西へ行くと安治川沿いに大阪湾に達し、東へ行くと淀屋橋や北浜へつながる。北は玉川町から野田阪神へ。南は、本田町から九条へとつづく。説明するまでもないが、大阪市北区の最西端の要の様な立地条件で、ビルの斜め向かいには、電電公社の社屋もある。土地は百四十二坪。
![]() |
| 現在、中之島は1~6丁目なので、 中之島7丁目という住所はありません。 でも、この辺りかなぁ? |
このビルの持ち主は、戦争中に疎開したまま消息が絶えているのだが、持ち主の知人の話によると、このまま疎開先で暮らしたい意向のようで、いっときも早くビルと土地を売りたがっているらしい。
ビルは、戦後すぐに進駐軍に接収され、一階にも二階にも三階にも水洗便所が取りつけられている。土佐堀川にそのまま船を出せる地下室まであるのだが、それは米軍が接収したあと、何等かの理由で作られたそうだ。
もう一軒は、大阪市福島区上福島三丁目。昭和二十四年に建てられた木造の家で、土地は百二十坪。福島西通りの交差点の西側の角地にある。メリヤス問屋の店舗兼住居だ。持ち主の家庭の事情で、ことしの夏に岡山県に引っ越すことになった。だから、今年の八月末までは、いまの持ち主が住み続けるという条件つきだ。
この場所は、桜橋や梅田新道にも徒歩で行けるほどの立地条件で、松坂の大将もよくご存知のように、自動車の中古部品屋が軒を並べている。
どちらも価格に大差はない。自分はもし松坂の大将が大阪に戻って来る意志があれば、このどちらかの土地と家屋をお勧めしたいと考える。
いずれにしても買手は殺到してるので、松坂の大将のご意志を早急に知らせていただければありがたい―――。
-宮本輝「流転の海 第二部『地の星』第七章」丸尾千代麿の手紙-
2014年3月25日火曜日
2012年7月30日月曜日
堂島大橋-大阪府大阪市福島区(2012.07.29)
■堂島大橋
明治16(1883)年
明治18(1885)年 大洪水で押し流されてしまった
昭和 2(1927)年
昭和20(1945)年 アメリカ軍による空襲で被災し、石の欄干の黒焦等の痕跡が現在でも残っている
大阪府大阪市福島区玉川1丁目・福島3丁目-北区中之島5丁目・6丁目
※2012.07.29撮影
明治16(1883)年
明治18(1885)年 大洪水で押し流されてしまった
昭和 2(1927)年
昭和20(1945)年 アメリカ軍による空襲で被災し、石の欄干の黒焦等の痕跡が現在でも残っている
大阪府大阪市福島区玉川1丁目・福島3丁目-北区中之島5丁目・6丁目
※2012.07.29撮影
莫大小会館-大阪府大阪市福島区(2012.07.29)
■莫大小会館
昭和 4(1929)年 建築
昭和12(1937)年 第二期工事増築
大阪府大阪市福島区福島3-1-39
宗建築事務所/大阪橋本組
当初3階・地下1階、現在4階
※2012.07.29撮影
昭和 4(1929)年 建築
昭和12(1937)年 第二期工事増築
大阪府大阪市福島区福島3-1-39
宗建築事務所/大阪橋本組
当初3階・地下1階、現在4階
※2012.07.29撮影
ラベル:
***【設計】宗建築事務所,
****【大阪】莫大小会館,
1929,
大阪市,
大阪市福島区,
大阪府
2011年12月16日金曜日
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