2016年5月3日火曜日

【明治村 13】三重県庁舎-三重県津市(2016.04.30) △外観のみ(遠景)

■三重県庁舎
明治12(1879)年
旧所在地 三重県津市栄町
博物館明治村1丁目13番地
※2016.04.30撮影
























★以下は、画像整理用覚書


明治維新政府による地方行政は、明治2年(1869)の版籍奉還に続く明治4年の廃藩置県に始まる。この時から中央政府によって任命された府知事・県令が各府県に派遣されるようになるが、さらに明治6年には地方行政と勧業のための中央官庁として内務省が設置され、地方行政は急速にその整備が進められていった。府知事・県令を迎えた各府県では、当初は既存の建物を県庁舎として使っていたが、開明的な県令は先を争うように洋風の新庁舎を建設するようになった。この三重県庁舎も明治9年(1876)、県令岩村定高によって計画され、3年後の同12年に完成したものである。

間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称になっており、正面側には二層のベランダが廻らされている。この構成は当時の官庁建築の典型的なもので、明治9年東京大手町に建てられた内務省庁舎にならったものである。構造は木造で、内外とも柱を見せない漆喰塗大壁で、屋根には桟瓦を葺いている。正面に突き出した車寄の屋根には手摺をあげ、入母屋屋根の破風には菊花紋章を飾るなどして建物の正面を引き立たせる一方、両翼の正面側の壁面角には黒漆喰で太い柱型を塗り出し、全体を引き締める役割を持たせている。尚、窓は全て上ゲ下ゲ硝子窓であるが、妻面の窓は他の部分と異なり、外に鎧戸が付けられている。
この建物の設計は地元三重県の大工清水義八を中心に進められたが、清水義八は他にも県内の建物を手がけており、同じく明治村に移築されている三重県尋常師範学校も彼の手になったものである。

基檀、礎石、円柱、エンタブレチュアの構成は古代ギリシャ・ローマの神殿に由来するものである。出入口や窓も洋風が取り入れられ、半円アーチや円弧アーチの形で納められている。

正面入口だけは、木製の建具枠の外側に石製の太いアーチ状の額縁が廻らされている。
扉や額縁は木目塗という技法で塗装されている。洋風建築とともに西洋から伝えられた技法で木の素地を見せず、ペンキを塗って別の高価な木材種(例えばマホガニー、チークなど)の木目を描く方法である。明治村には、この木目塗が使われている建物として菅島燈台付属官舎、東山梨郡役所、長崎居留地二十五番館の三棟がある。

三重県庁舎 彩の間

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三重県庁舎 正庁

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三重県庁舎 知事室

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三重県庁舎 応接室

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