2016年5月3日火曜日

【明治村 06】聖ヨハネ教会堂-京都市下京区(2016.04.30) ×未確認

■聖ヨハネ教会堂
明治40(1907)年
旧所在地 京都市下京区河原町通五條
博物館明治村1丁目6番地
※2016.04.30未確認(ToT)

★以下は、画像整理用覚書


明治6年(1873)、鎖国以来二百数十年続いたキリスト教の禁止令が解かれ、各地に教会堂が建てられるようになった。
この聖ヨハネ教会堂は、明治40年(1907)京都の河原町通りに建てられたプロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会で、二階が会堂に、一階は日曜学校や幼稚園に使われていた。中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に、細部にゴシックのデザインを交えた外観で、正面左右に高い尖塔が建てられ、奥に十字形大屋根がかかる会堂が配された教会である。正面の妻と交差廊の両妻には大きな尖塔アーチの窓が開けられ、室内が大変明るい。構造は、一階がレンガ造、二階が木造で造られ、屋根には軽い金属板が葺かれておりこれは日本に多い地震への配慮とも考えられる。また構造自体がそのまま優れたデザインとして外観・内観にあらわれている。

開国後多くの宣教師が来日するが、その中には宣教だけでなく実業面、教育面でも業績を遺した人もいた。この教会堂を設計したアメリカ人ガーディナーもその一人である。ハーバード大学で建築を学んだガーディナーは明治13年(1880)来日、立教学校の校長として教育宣教にあたる一方、建築家としても立教大学校校舎、明治学院ヘボン館、日光真光教会等の作品を遺している。

十字形平面の会堂内部は、化粧の小屋裏をあらわし、柱などの骨組が細目に見えることもあって、実際より広く感じさせる。京都の気候に合わせて使ったと言われる天井の竹の簀も、明るい窓の光を反射させ、より開放感を増している。

建物細部の随所にゴシック風の尖頭アーチが見られるが、特に正面入口がよい例で、レンガ積の角柱から柱頭飾りをはさんでレンガ積のきれいなアーチが立ち上っている。奥の欄間の二つの三葉形アーチの窓や板扉の大形の金具のデザインも中世風のものである。