2016年5月2日月曜日

【明治村 56】大明寺聖パウロ教会堂-長崎県西彼杵郡(2016.04.30) ×未確認

■大明寺聖パウロ教会堂
明治12(1879)年
旧所在地 長崎県西彼杵郡伊王島
博物館明治村5丁目56番地
※2016.04.30未確認(ToT)

★以下は、画像整理用覚書


キリスト教は天文18年(1549)、宣教師フランシスコ・ザビエルによって伝えられたが、その後、豊臣秀吉、次いで徳川家康の政権時に禁制となり、実に二百数十年を経た、明治6年(1873)に禁教が解かれた。
この建物は明治12年(1879)頃、長崎湾の伊王島に創建された教会堂である。開国後、長崎の町に建てられた最初の教会は大浦天主堂(1865年完成)で、それから15年後のことであった。
大明寺教会堂は、フランス人宣教師ブレル神父の指導のもと、地元伊王島に住んでいた大渡伊勢吉によって建てられた。若い頃、大浦天主堂の建設にも携わった伊勢吉は、当時の知識をこの教会堂に注ぎ込んだのである。
内部こそゴシック様式だが、外観は、鐘楼を除けば、普通の農家の姿に過ぎず、いまだキリスト教禁制の影響を色濃く残している。
教会堂内部は、一般的には中央身廊と左右側廊からなる三廊式である。
明治村の聖ザビエル天主堂などの典型的なゴシック様式の教会堂では、列柱は大きなアーチでつながれ、大アーケードと呼ばれるが、この大明寺教会堂では一本おきに柱頭飾りから下の柱を取り払った姿になっている。連なる小さなアーチのそれぞれに柱を建てると堂内が大変窮屈になってしまうためで、木造だからできた離れ業といったところだろう。
正面の土間や鐘楼は、創建後の増築である。このような地方の教会は創建の時に全てが完成しているものではなく、時代を経て少しづつ人々の手が加えられたのである。
「コウモリ天井」とは、建築用語で「交差リブヴォールト」と言い、西洋のゴシック様式の教会建築によく見られる。柱の間に渡されたアーチ型のリブを骨として天井を支えている。この教会では木製のリブを骨として、竹小舞を球形の鳥籠のように編み上げ、両面に荒土、漆喰を塗り重ねてある。ちなみに「コウモリ」とは、骨の姿がコウモリ傘に似ているからである。
また左右の側廊の天井は、日本風の「竿縁天井」を少し曲げて曲面にし、西洋のヴォールト天井に似せたものと思われる。
1858年、フランス、ピレネー山麓の町ルルドのとある洞窟で聖母マリアが出現するという奇跡が起こった。 それにあやかって世界各地の教会で「洞窟」の再現が行われた。それが、「ルルドの洞窟」である。 通常、「ルルドの洞窟」を設ける時には、教会敷地の一部に岩山を作り、洞窟を掘るのであるが、この大明寺教会堂では室内に設けられており、それだけに、日本でも珍しい教会堂として数えられる。
押入れのような凹みに小さな鳥籠状の竹小舞を編み上げ、岩の様に泥を塗りつけて仕上げてある。