2016年5月3日火曜日

【明治村 48】小泉八雲避暑の家-静岡県焼津市(2016.04.30) △外観のみ(近景)

■小泉八雲避暑の家
明治元(1868)年
旧所在地 静岡県焼津市城之腰
博物館明治村4丁目48番地
※2016.04.30撮影



























★以下は、画像整理用覚書


「怪談」で有名な小泉八雲はもとの名をラフカディオ・ハーンといった。1850年母の国ギリシャに生まれ、父の国アイルランドで教育を受け、のちアメリカに渡って新聞記者などをする一方、翻訳、評論、創作等の面で文名を高めた。明治23年(1890)来日し、英語教師として松江中学に赴任し、地元の小泉節子と結婚、同29年日本に帰化して小泉八雲と名のった。同年帝国大学に招聘されて東京に移り、帝大や早稲田大学で英文学を講じた。東京へ移った翌年から、夏を焼津で過ごすようになり、その時身を寄せていたのが、この魚屋、山口乙吉の家である。八雲には「乙吉の達磨」「焼津にて」など焼津を題材とした小説がある。
明治初年に建てられたこの家は、間口5.5m、奥行13.2mの町屋で、木造二階建桟瓦葺、両側面には和風のたて板を全面に張っている。本屋は軒の低い二階建、前面に一間程の庇を出して店構えとし、内部片側に通り土間を通す形式は、当時の町屋の典型的な形である。しかし、店前に余裕をもたせるため、左側一間分はそのままにして店と通り土間の前を奥へ下げている。二階の窓は戸袋を片側に寄せ、低い軒下を開け放って障子をいれている。
隣の本郷喜之床と比較する時、軒の高さや庇の出などにその時代の特徴を知ることができる。
内部一階右側は通り土間で、左に店、座敷が並ぶ。通り土間のほぼ中央、壁寄りには、屋根裏まで抜ける換気用の吹き抜きがある。二階では壁に囲まれて煙突状になっている。  一階の店の隅から二階への階段がある。二階は厨子二階とも呼ばれた屋根裏部屋が発展した形で、広い座敷二部屋と納戸になっている。天井が一部傾斜しており、屋根裏部屋の名残をとどめている。