2016年5月3日火曜日

【明治村 26】幸田露伴住宅「蝸牛庵」-東京都墨田区(2016.04.30) ×未確認

■幸田露伴住宅「蝸牛庵」
明治元(1868)年
旧所在地 東京都墨田区東向島
博物館明治村3丁目26番地
※2016.04.30未確認(ToT)

★以下は、画像整理用覚書


明治10年代(1877~1886)、下火となっていた戯作文学が、自由民権論、国権論、アジア主義等の隆盛に呼応した政治小説の形で復活してくるが、これとは別に人間の内面を描き出そうとする動きも出てきた。明治18年(1885)坪内逍遥は「小説神髄」を刊行して小説の新しい方向を提唱、これに応じる形で二葉亭四迷の「浮雲」が生まれたが、逍遥の内面尊重の主張はさらに幸田露伴へと受け継がれ、東洋的な観念を主題とする作品に結実してゆく。
露伴は幼少の頃算術を得意とし、長じて電信を学び、電信技手を勤めるが、傍ら漢籍や仏書を読破し、「小説神髄」に触発されて明治20年(1887)21才の時、官を辞した。その翌年発表した処女作「禅天魔」が尾崎紅葉の目にとまると、文筆の世界に足を踏み入れ、「風流仏」「対髑髏」「五重塔」等次々に発表、紅葉とともに紅露時代として一世を風靡した。
露伴は自分の家を「かたつむりの家(蝸牛庵)」と呼び、やどかりのように幾度となく住まいを変えている。隅田川の東にあったこの家もその内の一つで、明治30年(1897)からの約10年間を過ごしている。周辺には江戸時代から豪商の寮(別邸)や下屋敷が多く、この建物もその雰囲気を伝えるとともに、深い土庇のある座敷には水鳥を形どった釘隠しが付けられ、墨東の名残もとどめている。町屋と異なり、まわりの広い庭に自由に延び拡がった建物で、廊下を軸に玄関、和室、付書院のある座敷が千鳥に配されている。