2016年5月3日火曜日

【明治村 17】清水医院-長野県木曽郡大桑村(2016.04.30) △外観のみ(近景)

■清水医院
明治30(1897)年代
旧所在地 長野県木曽郡大桑村
博物館明治村2丁目17番地
※2016.04.30撮影



















★以下は、画像整理用覚書


江戸時代の五街道の一つ中山道は、近江草津で東海道と分かれ、大垣、岐阜を経て鵜沼から木曽川に沿って信濃へ抜け、さらに江戸へと通じていた。木曽路の中程、妻篭と木曽福島の中間、須原の地にこの清水医院は建てられた。建造の詳しい年月は明らかではないが、その様式から凡そ明治30年代(1897~1906)と推定される。名古屋から須原まで鉄道が開通したのが明治42年(1909)であるので、当時はまだまだ交通の不便な時代であった。因みに中央線が全通したのはその翌々年、明治44年(1911)のことである。

須原に生まれた清水半次郎は、東京に出て医学を学んだ後、地元の木曽谷に戻り医院を開業したが、この医院は旅篭の立ち並ぶ街道沿いでひときわ目立つものであった。木曽檜の柿葺(こけらぶき)屋根をのせた土蔵造りであるが、表側の入口や窓をアーチ形に開けたり、白い壁に目地を切って石積みに見せたり、壁隅には柱型を付ける等、洋風のデザインが模されている。しかし、アーチ形にした窓も、建具を「上ゲ下ゲ」や「開き」にせず、室内側での引き込みにしているところなどは面白い。

この清水医院には島崎藤村の姉園子も入院しており、彼女をモデルにした藤村の小説「ある女の生涯」では、須原の蜂谷医院とされて当時の様子が記されている。
玄関を入ると通り土間に面して待合室と薬局があり、薬局には小さな投薬口が設けられている。畳敷きの待合室に続いて板張りの診療室となるが、待合室の廻りの襖(ふすま)には様々な養生訓が黒々と大書されている。
二階は数奇屋風の造りの住居部分になっている。