2016年5月3日火曜日

【明治村 30】菅島燈台附属官舎-三重県鳥羽市(2016.04.30) ◎外観・内装

■菅島燈台附属官舎
明治 6(1873)年
旧所在地 三重県鳥羽市菅島町
博物館明治村3丁目30番地
※2016.04.30撮影
























★以下は、画像整理用覚書


菅島燈台は明治6年(1873)伊勢湾の入り口、鳥羽沖合の菅島に建てられた。品川燈台がフランス人の手になるのに対し、これはブラントンを頭とする工部省燈台局のイギリス人技術者の設計管理になるものである。明治初期の洋式燈台では、燈火の管理も外国人によって行われたため、付属の官舎もレンガ造の洋式住宅が建てられている。

レンガ造の壁に木造の洋小屋を載せて桟瓦を葺いている。出入り口は両開きのガラス扉に鎧戸を付け、窓は上ゲ下ゲ窓でやはり鎧戸を備えている。

建設に当たっては島の人々の協力があり、船着場から高台までの資材運搬等に従事したという。又、建物に使われたレンガや瓦も地元の産で、渡鹿野島の瓦屋竹内仙太郎が焼いた旨の刻印がある。移築のための解体も島民の協力を得て行われた。
レンガは洋風建築の主要部材であり、ヨーロッパ各国でほぼ同形のものが使われていたが、積み方にはそれぞれの国の特徴がみられる。イギリス積は長手だけが見える段と小口だけが見える段が交互に重ねられる方法で、フランス積は各段毎に長手と小口が交互に並び、見た目が美しいと言われている。他にオランダ積等がある。図は壁厚一丁半積の場合のイギリス積とフランス積を示す。フランス積という呼び名は日本独自のもので、「フレミッシュ(フランドル)積」が訛ったものと思われる。

  • イギリス積
  •  

  • フランス積

旧設置場所 中国大連口 南三山灯台
設置年 1905年
霧砲は濃霧時の船舶航行の安全を確保する装置である。霧砲は濃霧時には灯台の光が届きにくいため、火薬を爆発させ大きな音で船舶に陸地があることを知らせた。1回に使用する火薬は約2kgであるが、音達距離は2~3海里しかなく操作も不便であった。