2015年4月23日木曜日

大應寺-大阪市天王寺区(2015.04.19)

■大應寺
寛永元(1624)年 開基
大正 4(1915)年 本堂類焼
大正13(1915)年 再建
昭和20(1945)年 本堂と庫裏を焼失
昭和47(1972)年 鉄筋コンクリートの本堂完成
大阪府大阪市天王寺区餌差町3-15
山 号 棲巌山
宗 旨 浄土宗鎮西派
天性院 木村蒹葭堂(けんかどう)墓所
※2015.04.19撮影

◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」


















寛永元(1624)年3月證誉三上人の開基とされるが、「蓮門精舎旧詞」によれば文禄年間(1592~1596)に澄誉によってされたとある。後者であれば時期は、小橋寺町が形成されたとされる大坂城の惣構の築造と一致する。大正 4(1915)年、第21世祥誉龍山上人の代に本堂類焼、9年後の大正13(1915)年再建、昭和20(1945)年3月14日戦災で本堂と庫裏を焼失。本尊の阿弥陀如来は第22世瑞誉龍城上人が抱えて持ち出し、難を逃れた。本尊は室町時代後期の作で、等身大の坐像である。また、山門と塀の一部も、焼失・倒壊の難を逃れ当時のままの姿を残している。塀は築地塀のひとつである練塀(ねりべい)で練り土と瓦を交互に重ねた土塀である。戦後、庫裏の一部を再建し仮の本堂とする。昭和47(1972)年3月、鉄筋コンクリートの本堂完成。平成11(1999)年、第23世周晃和尚により本堂「せきのおんばさん」お堂・庫裏の改築および庭園等の整備を繰り返して現在に至る。