■萬翠荘(旧久松定謨伯爵邸)
大正11(1922)年
愛媛県松山市一番町3-3-7
設計:木子七郎
http://www.bansuisou.org/
※2016.09.24撮影
松山藩最後の藩主久松定昭の嗣子、久松家第15代定謨さだことは、陸軍武官として長く欧州に駐在し、退役後この地に純フランス風の別邸・萬翠荘を建築した。
建物は、鉄筋コンクリート造地上3階、地下1階、中央に重厚な車寄を置き、屋根は頂部を緩勾配の銅板で、下部を急勾配の天然スレートで葺く。外装にはタイルを用い、車寄・玄関扉・窓・手摺・屋根窓に至るまで欧風の薫り高い意匠でまとめられている。内部も玄関ホールの左右に建つ万成石の独立柱をはじめ、チーク材の階段手摺、大型のステンドグラス、マントルピースなどがロココ調の家具と相まって優美な雰囲気を醸し出す。設計は、欧米外遊から帰朝直後の建築家・木子七郎が担当し、本格的な鉄筋コンクリート構造の建物を初めてこの地方に導入した。予定を繰り上げて大正11(1922)年11月に竣工し、陸軍大演習の後に来松された皇太子(後の昭和天皇)の宿泊所に充てられた。