2016年10月5日水曜日

道後温泉本館①-愛媛県松山市(2016.09.25)

■道後温泉本館
大正13(1924)年
愛媛県松山市道後湯之町5-6
設計:不詳
http://www.dogo.or.jp/pc/
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/rekishibunka/bunkazai/kuni/dougoonsen_honkan.html
※2016.09.25撮影

※内部は見学付入浴券を購入の上「ぼっちゃんの間」のある3階のみ撮影可

道後温泉本館は、明治中期から昭和初期にかけて整えられた浴場施設の一群の建物によって構成される。その配置は、北側に神の湯本館、東側に又新殿・霊の湯棟、南側に南棟、西側に玄関棟が置かれるが、その各棟は互いに接続して外観上複雑な屋根の形状を呈し、明治期以降の繁栄と人々に親しまれた温泉場の模様をよく示している。

神の湯本館は、明治27(1894)年の竣工。外観は純和風の総3階建てとし、その入母屋造りいりもやづくり大屋根の上に振鷺閣しんろかくと呼ぶ宝形袴腰の塔屋を載せる。その背(南)面には突出して平家建ての浴室が設けられる。当初は藩政時代の一・二・三の湯の名残を踏襲して北入口の3区画とし、それぞれの出入口の庇屋根には軒唐破風を架け、2・3階外周の回り縁には勾欄を巡らせ、その腰には温泉の湧き出る様を彫った腰板を配している。これを手がけたのは、松山藩の城郭建築棟梁の家に生まれた坂本又八郎である。外観はあくまで和風に徹しながら、大屋根にトラスを組み、窓にギヤマンを用い、遅れて切組みした振鷺閣のみはその頃明治新政府が布告した現行の新尺度に拠るなど、文明開化への志向が注目される。又新殿・霊の湯棟は、明治32(1899)年の竣工。この建物は社寺建築の手法を採り入れた純和風で、周囲の地形から東側2階に玄関を持ち、1階に下りて男女2区画の浴室が設けられていた。さらに北側の一画を皇族専用の御召湯とし又新殿と呼んだ。この部分は桃山時代の書院造りを模して建てられ、随所に銘木を使用し、壁には障壁画を用いるなど華麗な造りである。材料は精選され、仕上げも洗練されて、木造建築の最高水準を示すものと評価される。棟梁は同じく坂本又八郎。この1階の御召湯のみがこの温泉の古い階段式浴槽の形態を留める。

南棟は、大正13(1924)年)の竣工。また玄関唐破風棟も同年の移築である。この棟は背面にも唐破風の造作が残されているが、前身建物の素姓は明らかでない。

事務棟は、昭和10(1935)年の竣工。玄関唐破風棟の南側の附属入母屋棟は、それ以降の建築であるが、工事時期に関する詳細な資料を欠く。

大正13(1924)年、玄関が西側に移され、昭和時代には浴室部を中心に順次改造の手が加えられているが、和風を基調とする大規模木造複合建築として、特徴的な外観と、入湯・休憩の一体化機能は、わが国の温泉建築を代表するものである。