■清水谷公園
大阪府大阪市天王寺区清水谷町16
※2015.04.19撮影
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
2015年4月23日木曜日
円珠庵(釜八幡)-大阪市天王寺区(2015.04.19)
■円珠庵(釜八幡)
大阪府大阪市天王寺区空清町4-2
山 号 雪光山
宗 派 真言宗豊山派
別 称 鎌八幡
札所等 摂津国八十八箇所 第15番札所
文化財 契沖旧庵ならびに墓(国の史跡)
http://www7.ocn.ne.jp/~enzyuan/
※2015.04.19撮影(こちらは境内撮影不可)
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
大阪府大阪市天王寺区空清町4-2
山 号 雪光山
宗 派 真言宗豊山派
別 称 鎌八幡
札所等 摂津国八十八箇所 第15番札所
文化財 契沖旧庵ならびに墓(国の史跡)
http://www7.ocn.ne.jp/~enzyuan/
※2015.04.19撮影(こちらは境内撮影不可)
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
ラベル:
***【巡検】20150419,
**神社仏閣,
大阪市,
大阪市天王寺区,
大阪府
大應寺-大阪市天王寺区(2015.04.19)
■大應寺
寛永元(1624)年 開基
大正 4(1915)年 本堂類焼
大正13(1915)年 再建
昭和20(1945)年 本堂と庫裏を焼失
昭和47(1972)年 鉄筋コンクリートの本堂完成
大阪府大阪市天王寺区餌差町3-15
山 号 棲巌山
宗 旨 浄土宗鎮西派
天性院 木村蒹葭堂(けんかどう)墓所
※2015.04.19撮影
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
寛永元(1624)年3月證誉三上人の開基とされるが、「蓮門精舎旧詞」によれば文禄年間(1592~1596)に澄誉によってされたとある。後者であれば時期は、小橋寺町が形成されたとされる大坂城の惣構の築造と一致する。大正 4(1915)年、第21世祥誉龍山上人の代に本堂類焼、9年後の大正13(1915)年再建、昭和20(1945)年3月14日戦災で本堂と庫裏を焼失。本尊の阿弥陀如来は第22世瑞誉龍城上人が抱えて持ち出し、難を逃れた。本尊は室町時代後期の作で、等身大の坐像である。また、山門と塀の一部も、焼失・倒壊の難を逃れ当時のままの姿を残している。塀は築地塀のひとつである練塀(ねりべい)で練り土と瓦を交互に重ねた土塀である。戦後、庫裏の一部を再建し仮の本堂とする。昭和47(1972)年3月、鉄筋コンクリートの本堂完成。平成11(1999)年、第23世周晃和尚により本堂「せきのおんばさん」お堂・庫裏の改築および庭園等の整備を繰り返して現在に至る。
寛永元(1624)年 開基
大正 4(1915)年 本堂類焼
大正13(1915)年 再建
昭和20(1945)年 本堂と庫裏を焼失
昭和47(1972)年 鉄筋コンクリートの本堂完成
大阪府大阪市天王寺区餌差町3-15
山 号 棲巌山
宗 旨 浄土宗鎮西派
天性院 木村蒹葭堂(けんかどう)墓所
※2015.04.19撮影
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
寛永元(1624)年3月證誉三上人の開基とされるが、「蓮門精舎旧詞」によれば文禄年間(1592~1596)に澄誉によってされたとある。後者であれば時期は、小橋寺町が形成されたとされる大坂城の惣構の築造と一致する。大正 4(1915)年、第21世祥誉龍山上人の代に本堂類焼、9年後の大正13(1915)年再建、昭和20(1945)年3月14日戦災で本堂と庫裏を焼失。本尊の阿弥陀如来は第22世瑞誉龍城上人が抱えて持ち出し、難を逃れた。本尊は室町時代後期の作で、等身大の坐像である。また、山門と塀の一部も、焼失・倒壊の難を逃れ当時のままの姿を残している。塀は築地塀のひとつである練塀(ねりべい)で練り土と瓦を交互に重ねた土塀である。戦後、庫裏の一部を再建し仮の本堂とする。昭和47(1972)年3月、鉄筋コンクリートの本堂完成。平成11(1999)年、第23世周晃和尚により本堂「せきのおんばさん」お堂・庫裏の改築および庭園等の整備を繰り返して現在に至る。
興徳寺-大阪市天王寺区(2015.04.19)
■興徳寺
大阪府大阪市天王寺区餌差町2-17
山 号 隆法山
宗 旨 高野山真言宗
本 尊 薬師瑠璃光如来
札所等 摂津国八十八箇所 第12番札所、大坂三十三観音霊場 第11番札所
※2015.04.19撮影
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
聖徳太子御在世中の創建と伝えられる。創建時は薬師院と称し、大阪城付近にあったと思われる。秀吉が大阪城築城の時、現在の地に移設。戦災のため古い資料・過去帳・仏像が焼失、住職が行方不明の荒れ放題の寺だった。また、この寺の住職は次期信貴山の貫主になられる出世寺であった。過去を調べるより現世利得の方針で、子供の遊び場、休憩所を設け地域密着の場を提供されている。
大阪府大阪市天王寺区餌差町2-17
山 号 隆法山
宗 旨 高野山真言宗
本 尊 薬師瑠璃光如来
札所等 摂津国八十八箇所 第12番札所、大坂三十三観音霊場 第11番札所
※2015.04.19撮影
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
聖徳太子御在世中の創建と伝えられる。創建時は薬師院と称し、大阪城付近にあったと思われる。秀吉が大阪城築城の時、現在の地に移設。戦災のため古い資料・過去帳・仏像が焼失、住職が行方不明の荒れ放題の寺だった。また、この寺の住職は次期信貴山の貫主になられる出世寺であった。過去を調べるより現世利得の方針で、子供の遊び場、休憩所を設け地域密着の場を提供されている。
ラベル:
***【巡検】20150419,
**神社仏閣,
大阪市,
大阪市天王寺区,
大阪府
心眼寺-大阪市天王寺区(2015.04.19)
■心眼寺
元和 8(1622)年
大阪府大阪市天王寺区餌差町2-22
山 号 真田山
※2015.04.19撮影
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
元和8(1622)年4月、白牟和尚が戦国武将真田幸村父子の冥福を祈り堂宇を建立したのを嚆矢とする。境内地は幸村が戦捷をおさめた大坂冬の陣の大阪城出丸城郭跡で、幸村鎧掛けの松の木もあったが、昭和20(1945)年の大阪大空襲により堂宇ともども焼失した。創建から寺の定紋は真田家家紋の六文銭とされ、山号は真田山と称する。復興をみた現在の山門扉にも、定紋の浮彫が鮮やかである。
元和 8(1622)年
大阪府大阪市天王寺区餌差町2-22
山 号 真田山
※2015.04.19撮影
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
元和8(1622)年4月、白牟和尚が戦国武将真田幸村父子の冥福を祈り堂宇を建立したのを嚆矢とする。境内地は幸村が戦捷をおさめた大坂冬の陣の大阪城出丸城郭跡で、幸村鎧掛けの松の木もあったが、昭和20(1945)年の大阪大空襲により堂宇ともども焼失した。創建から寺の定紋は真田家家紋の六文銭とされ、山号は真田山と称する。復興をみた現在の山門扉にも、定紋の浮彫が鮮やかである。
どんどろ大師善福寺-大阪市天王寺区(2015.04.19)
■どんどろ大師善福寺
宝亀 9(778)年
大阪府大阪市天王寺区空堀町10-19
山 号 如意山
宗 派 高野山真言宗
本 尊 弘法大師
開 基 聖徳太子
中 興 開成皇子
正式名 どんどろ大師善福寺
別 称 どんどろ大師
札所等 摂津国八十八箇所
※2015.04.19撮影
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
宝亀 9(778)年
大阪府大阪市天王寺区空堀町10-19
山 号 如意山
宗 派 高野山真言宗
本 尊 弘法大師
開 基 聖徳太子
中 興 開成皇子
正式名 どんどろ大師善福寺
別 称 どんどろ大師
札所等 摂津国八十八箇所
※2015.04.19撮影
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」
三光神社(史跡・真田の抜け穴跡)-大阪市天王寺区(2015.04.19)
■三光神社(史跡・真田の抜け穴跡)
寛文元(1661)年 現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座
宝永 3(1706)年 再び現在地に戻る
大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90
主祭神 天照大神、月読尊、素戔嗚尊
創 建 反正天皇の治世
別 名 三柱神社・日月山神社
札所等 大阪七福神(寿老人)
http://www.eonet.ne.jp/~sankou/index.htm
※2015.04.19撮影
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」(メイン)
寛文元(1661)年 現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座
宝永 3(1706)年 再び現在地に戻る
大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90
主祭神 天照大神、月読尊、素戔嗚尊
創 建 反正天皇の治世
別 名 三柱神社・日月山神社
札所等 大阪七福神(寿老人)
http://www.eonet.ne.jp/~sankou/index.htm
※2015.04.19撮影
◆大阪高低差学会2015春のフィールドワーク「真田丸の高低差を歩く!」(メイン)
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