■旧大阪砲兵工廠化学分析場(化学試験場)
大正 8(1919)年
大阪府大阪市中央区大阪城1
砲兵工廠建築課(置塩章)/大阪橋本組
※2011.06.11撮影
大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)ないし大阪陸軍造兵廠(おおさかりくぐんぞうへいしょう)は、大村益次郎の構想により大阪に作られた大日本帝国陸軍の兵器工廠(造兵廠)。太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦による帝国陸軍の解体まで、大口径の火砲を主体とする兵器の製造を担ったアジア最大の軍事工場であった。また、戦前中の日本では重工業分野においてトップクラスの技術や設備をもっていたため、官公庁や民間の要望に応えて兵器以外のさまざまな金属製品も製造していた。化学分析場(化学試験場)は、大正8(1919)年に竣工、ネオ・ルネサンス様式の煉瓦造地上2階・地下1階の建物。建築家砲兵工廠建築部置塩章の設計、延面積1887平方メートルで、大阪橋下組の施工による。第二次世界大戦後、阪大工学部校舎、さらに1964年から1998年まで自衛隊大阪地方連絡部として利用されていた。現在は放置されており荒廃が進んでいる。
■表門前 明治天皇聖躅碑
■便所(または守衛詰所)