街のほとんどが消失した戦後まもなく、諸規則が改訂され、それまでの置屋は芸妓扱所となり、貸席も待合となる。現役の芸妓として今も活躍する平田席のさく一姉さんは「芸妓として北新地にデビューした昭和40年代には、150人ほどの芸妓が毎日、北新地のお座敷を賑わせていた」と語る。同時に、北新地は、昭和30年代後半からの高度成長期以降、社用を中心としたバー・クラブ街へとその形を変えていく。日本万博博覧会が大阪で開催された昭和45(1970)年には、北新地も大盛況だったが、その後、昭和46(1971)年のドルショックや昭和48(1973)年のオイルショック、昭和60(1985)年の円高不況、その後バブル景気が到来し、やがて終焉するなど、日本経済の乱降下する中でも、北新地はしっかりとその地場を固めながら現在に至っている。平成 9(1997)年3月には、JR東西線開通に伴う新駅の名称が「北新地駅」となり、名実ともに日本で有数の歓楽街へと成長を遂げた。
「北新地社交料飲協会50周年記念誌」より抜粋
◇昭和(しょうわ)
昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から、1989年(昭和64年)1月7日まで。
◆昭和元(1926)年
◆昭和 2(1927)年
◆昭和 3(1928)年
◆昭和 4(1929)年
◆昭和 5(1930)年
◆昭和 6(1931)年
◆昭和 7(1932)年
◆昭和 8(1933)年
◆昭和 9(1934)年
◆昭和10(1935)年
◆昭和11(1936)年
◆昭和12(1937)年 芸妓置屋9軒・貸席155軒、芸妓610人
◆昭和13(1938)年
◆昭和14(1939)年
◆昭和15(1940)年
◆昭和16(1941)年 太平洋戦争勃発
◆昭和17(1942)年
◆昭和18(1943)年
◆昭和19(1944)年
◆昭和20(1945)年 大阪大空襲にて「松島遊郭」消失、太平洋戦争終結
◆昭和21(1946)年 GHQによる公娼廃止指令
◆昭和22(1947)年◆昭和23(1948)年
◆昭和24(1949)年
◆昭和25(1950)年
◆昭和26(1951)年
◆昭和27(1952)年
◆昭和28(1953)年
◆昭和29(1954)年
◆昭和30(1955)年
◆昭和31(1956)年
◆昭和32(1957)年
◆昭和33(1958)年 売春防止法施行
◆昭和34(1959)年
◆昭和35(1960)年
◆昭和36(1961)年
◆昭和37(1962)年
◆昭和38(1963)年
◆昭和39(1964)年
◆昭和40(1965)年
◆昭和41(1966)年
◆昭和42(1967)年
◆昭和43(1968)年
◆昭和44(1969)年
◆昭和45(1970)年 日本万博博覧会開催
◆昭和46(1971)年 ドルショック
◆昭和47(1972)年
◆昭和48(1973)年 オイルショック
◆昭和49(1974)年
◆昭和50(1975)年
◆昭和51(1976)年
◆昭和52(1977)年
◆昭和53(1978)年
◆昭和54(1979)年
◆昭和55(1980)年
◆昭和56(1981)年
◆昭和57(1982)年
◆昭和58(1983)年
◆昭和59(1984)年
◆昭和60(1985)年 円高不況
◆昭和61(1986)年
◆昭和62(1987)年 2代目夕霧太夫(中村芳子)没
◆昭和63(1988)年
◆昭和64(1989)年
◇平成(へいせい)
1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。
◆平成元(1989)年
◆平成 2(1990)年
◆平成 3(1991)年
◆平成 4(1992)年
◆平成 5(1993)年
◆平成 6(1994)年
◆平成 7(1995)年
◆平成 8(1996)年
◆平成 9(1997)年 「北新地駅」設置
◆平成10(1998)年
◆平成11(1999)年
◆平成12(2000)年
◆平成13(2001)年
◆平成14(2002)年
◆平成15(2003)年
◆平成16(2004)年
◆平成17(2005)年
◆平成18(2006)年
◆平成19(2007)年
◆平成20(2008)年
◆平成21(2009)年
◆平成22(2010)年
◆平成23(2011)年
◆平成24(2012)年
◆平成25(2013)年
◆平成26(2014)年