■郡山八幡神社
天平勝宝元(749)年
奈良県大和郡山市柳4-25
※2014.11.08撮影
聖武天皇の勅命により、東大寺大仏の鋳造が完成した天平勝宝元年(749年)に、 東大寺大仏の守護神として宇佐八幡神を勧請されることとなった。『続日本書紀』によると同年12月18日に、宇佐八幡神を平群郡に迎え、27日に京に入り、京南の梨原宮に新殿を造って神宮としたとある。京入りの前日、和州薬師寺門前の休ヶ丘で一泊された。時の豪族中尾氏は勧請し、柳八幡大菩薩と尊崇し小高き丘の上、天高くそびえ立つ老木の松の根方に斎祀申し上げ、この地を”柳”と命名した。 奈良県の宇佐八幡宮系の宮では一番古く、現在大和郡山市の神社のうちでも、ただ一社の氏神神社である。
103代後土御門天皇の初年(1464年)、小田切氏築城に際し守護神として武運長久を祈願され「郡山八幡宮」と称しておられる。106代正親町天皇の天正13年(1585年)、大和大納言秀長御築城の際、現在の地に遷宮申し上げ郡山城累代の産土神として浅からず尊崇せられた。また、住氏は城外なる所、現在大和郡山市柳町に土地を賜り今に至っております。当宮は柳郷に鎮座されておられたゆえ、通称”柳八幡宮”と言い、その前の通りは宮の一字をとって柳町通りと言っております。国家安寧・長寿安産・家内安全・厄除開運・学業成就・商売繁盛等の御神徳世に普き、近郷近在より参拝者多し。