ラベル 東京都品川区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 東京都品川区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年5月3日火曜日

【明治村 12】鉄道局新橋工場と明治天皇・昭憲皇太后御料車(鉄道記念物)-東京都品川区(2016.04.30) △外観のみ(近景)

■鉄道局新橋工場と明治天皇・昭憲皇太后御料車(鉄道記念物)
明治22(1889)年
旧所在地 東京都品川区大井町
博物館明治村1丁目12番地
※2016.04.30撮影




















★以下は、画像整理用覚書


開国前、ロシア使節プチャーチン、アメリカ使節ペリーがそれぞれ蒸気機関車の模型を持参した。それに刺激された佐賀藩では安政2年(1855)、日本最初の模型機関車を製作した。維新の後、新政府は政治安定のためには東西両京を結ぶ鉄道が必要と決意し、調査に着手した。そして明治5年(1872)新橋・横浜間に初めての蒸気機関車が走り、ついで同7年には大阪・神戸間も開通、東西の基点ができた。当時の役所は鉄道寮と称し東京に置かれていたが、明治7年本拠を大阪に移し、同10年鉄道局と改称、さらに同14年には本局が神戸に移された。これより先明治8年には神戸工場で国産第一号の客車が製造されているが、これはイギリスから輸入した走行部分に国産の木材の車体を載せて造られたものであった。なお、蒸気機関車の国産第一号の製造はこれより大きく遅れ、明治27年(1894)にやはり神戸工場で完成している。
客車・機関車の国産化が進められるのと同様、鉄道施設の国産化も行われた。明治22年(1889)に建てられたこの鉄道局新橋工場は、日本で製作された鋳鉄柱、小屋組鉄トラス、鉄製下見板、サッシ等を組み立てたもので、屋根は銅板で葺かれている。明治初年にイギリスから資材一切を輸入して造られた鉄道寮新橋工場(明治村4丁目に移築保存)に倣って、フィート・インチを設計寸法として造られているが、国産鉄造建築物の初期の実例として、当時の我が国の技術水準を知る上でも貴重なものである。
この鉄道局新橋工場の小屋組は、鉄製キングポストトラスで、形式・部材形状ともに先の鉄道寮新橋工場に倣ったものであるが、現代の小屋組よりもシンプルで軽やかである。
明かり取りになっている越屋根は、後に付け加えられたものであるが、ここに使われている鉄製窓サッシには「I.G.R.KOBE1889」との陽刻銘があって、鉄柱と同年代の国産鉄製サッシとして貴重である。

鋳鉄柱

明治村に保存されている二つの鉄道工場には、新旧四つの年代の鋳鉄柱が使われている。明治初年鉄道寮新橋工場を造るためイギリスから輸入された柱と、それを模して鉄道局で作られた明治15年(1882)、同22年、同35年製の柱である。このうち22年製のものがこの鉄道局新橋工場に、他のものが鉄道寮新橋工場にそれぞれ遺されている。

昭憲皇太后御料車(5号御料車)(鉄道記念物)


製造年代 明治35年(1902)
御料車とは天皇・皇后・皇太后・皇太子のための特別な車輌のことで、5号御料車は最初の皇后用御料車として製作された車輌である。全長16m余、総重量約22tの木製2軸ボギー車で、車内には帝室技芸員の橋本雅邦・川端玉章が描いた天井画、昭憲皇太后のご実家一条家の家紋の藤をあしらった布が椅子や腰張りに使用されているなど、華麗な内装がなされている。
  •  
御座所内の川端玉章による天井画「帰雁来燕図」

明治天皇御料車(6号御料車)(鉄道記念物)

この御料車は明治時代に製造された6両の御料車のうち一番最後のものである。車輌の全長は20m余、総重量約33.5tの木製3軸ボギー車である。この車輌は歴代の御料車の中でもっとも豪華な車輌といわれ、車内天井に張られた蜀江錦、御座所内の金糸の刺繍や七宝装飾、また螺鈿装飾、木画といわれる木象嵌など日本の伝統的な工芸技術の粋を集めたものといえる。

  • 製造年代 明治43年(1910)
  •  

  • 侍従室の木画(木象眼)
  •  

  • 御座所内の七宝装飾の櫛形壁

【明治村 44】鉄道寮新橋工場(機械館)・リング精紡機・菊花御紋章付平削盤-東京都品川区(2016.04.30) ◎外観・内装

■鉄道寮新橋工場(機械館)・リング精紡機・菊花御紋章付平削盤
明治 5(1872)年
旧所在地 東京都品川区大井町
博物館明治村4丁目44番地
※2016.04.30撮影































★以下は、画像整理用覚書

日本の鉄道はあらゆる技術をイギリスから導入して開発された。明治5年(1872)に開業した新橋ステンショ(停車場)には、停車場本屋、乗降場、荷物庫、荷物積所、石炭庫、機関車庫、機関車修復所、御雇外国人官舎等が造られた。この中の機関車修復所が、ここに遺る新橋工場である。
鋳鉄柱をはじめ外壁の鉄板、サッシ等、全ての材料をイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建設された。中空鋳鉄柱の両側にツバを出して壁板を取り付け、又、鉄筋など細い鉄材で小屋組トラスを組み上げる等、鉄造プレハブ建築物としても重要なものであり、またきわめて単純で構造力学の理にかなったものである。
現在、この建物は二棟が並んだ大きなものになっているが、はじめ新橋に建設された時は一棟だけで、大正のはじめ大井町への移設の際に拡張された。その際他から転用された鋳鉄柱等には「明治十五年東京鉄道局鋳造」と銘が鋳出されているが、これは明治10年代に早く舶来品を模して国産化が始められたことを物語る。
明治村では、広い工場の内部を明治の機械類の展示場として活用している。

汐留火力発電所煙突基礎

建設年代 明治35年(1902)
旧所在地 東京都
汐留の近代化は、明治3年の測量、翌年の駅舎など鉄道関連施設の建設から始まった。明治5年に新橋停車場として開業して以来、大正3年に東京駅が開業し、汐留貨物駅と改称されるまで絶えず施設の拡充がなされた。しかし大正12年の関東大震災、昭和9年の汐留駅大改装により、明治期に建てられたほとんどの施設が姿を消した。
復原されているのは、明治35年に建設された火力発電所の煙突基礎部分である。この発電所の完成により新橋停車場内の必要電力のほとんどを供給することができるようになった。

リング精紡機(重要文化財)

製作年代 1893年(明治26)
リング精紡機は、綿紡績の最終工程に使用される機械として、1828年アメリカのジョン・ソープによって考案された。その後様々な改良が重ねられ、特にプラット社製のリング精紡機は、当時世界中の紡績機械のなかでもっとも優秀なものといわれた。前紡工程の練紡機(粗紡機)より供給された粗糸を引き伸ばして所要の太さにしたのち、撚りをかけて糸とし、その糸を自動的に巻き取る機械である。この機械は三重紡績会社で使用され、日本の近代化に大きく寄与した。

菊花御紋章付平削盤(重要文化財)

製作年代 明治12年(1879)
この機械は赤羽工作分局で岩手県の船舶修理工場向けに製造され、後に岩手県盛岡工業高校に引き継がれ実習用として大切に保管されてきた。
この平削盤は明治政府が殖産興業を推進するために設置した直轄工場で製造されたもので、日本の機械工業黎明期の実情を伝える工作機械として非常に重要である。

製作工部省赤羽工作分局
全長2,815mm
全幅1,230mm
全高1,680mm
テーブル長2,060mm
テーブル幅672mm

【明治村 45】工部省品川硝子製造所-東京都品川区(2016.04.30) 〇外観・内装

■工部省品川硝子製造所
明治10(1877)年頃
旧所在地 東京都品川区北品川
博物館明治村4丁目45番地
※2016.04.30撮影























★以下は、画像整理用覚書


明治6年(1873)イギリス人技術者を雇い入れて、品川興業社硝子製造所が開設された。同9年工部省がこの製造所を買い上げ官営とし、その後この建物等が建てられた。壁体はレンガ造イギリス積、屋根には瓦を葺いている。開口部はアーチ式のものが主体であるが、右側三分の一ほどに式の開口がある。この部分の内部に中二階の床があるためである。
工部省は、日本に近代工業を根付かせ、その発展を図るために明治3年(1870)設置された役所で、その目的は極めて広く、鉄道、土木、燈台、造船、電信、製鉄などの実技面から、工学技術教育に至るまで網羅された。早急な育成のため、設備、技術者など必要なもの一切を導入する方針がとられ、各地に多業種の工場が建設され、多数のお雇い外人が来日、指導に当たった
この硝子製造所でも、イギリスのガラス工ウォルトン、スピートなどが指導に当たり、フリントガラスの製造設備をもって、食器など日用ガラス器の製作をしていた。明治14年頃には板ガラスの製造テストも行われたが、成功しなかった。
明治18年(1885)この工場は民間に払い下げになり、明治末に三共合資会社製薬場となって、有名な高峰譲吉や鈴木梅太郎の創製により薬品も製造された。
建物の内部は、間仕切がなく一つの部屋になっており、片側約三分の一に中二階が設けられており、厚いレンガの壁体に梁を差し込んで床を支えている。小屋組は典型的なキングポストトラスで棟上に換気用の越屋根が載せられている。
復原に当たり、補強のため周囲のレンガ壁体の頂部に鉄筋コンクリートの臥梁を廻らした。
現在は一階を店舗に、中二階を展示室に活用している。

板ガラス


ガラス器製造風景
明治期における国内のガラス工業は日用ガラス器生産が殆どであった。建築材料として必要な板ガラスは、幾度かの試みにもかかわらず成功せず、国産化が実現したのは、明治42年になってからである。


                                 

2014年12月4日木曜日

清泉女子大学本館(旧島津公爵邸)-東京都品川区(2014.11.26)①

■清泉女子大学本館(旧島津公爵邸)
大正6(1917)年
東京都品川区東五反田3-16-21
03-3447-5551
ジョサイア・コンドル
http://www.seisen-u.ac.jp/
※2014.11.26撮影