大正 6(1917)年
旧所在地 石川県金沢市仙石町
博物館明治村4丁目34番地
※2016.04.30未確認(ToT)
★以下は、画像整理用覚書
古来、武士のたしなみとして剣術、柔術、水術等様々な武道が伝えられてきたが、明治初年の新しい学校体育では体操が中心で、武道はとりあげられなかった。明治15年(1882)嘉納治五郎が柔道を創始して古武道の改革をはかるが、これが下地となって、日清戦争後、15歳以上の強壮者に対し武道を正課外で習わせることが認められ、主として大学、高等学校の運動部の活動として普及をみるようになった。明治後期になると、国内全般に尚武的気風が高まり、それまで欧米式体育に対する反省もあって、学校体育に武道が加えられるようになった。
長い年月にわたり、幾多の若人がこの「無声堂」で修練を積んできた。
茅葺の厚く深い軒の下には丸い的が置かれている。弓道場の正面は、雨戸を入れる戸袋まで左右に開くことができるため、さえぎるものは柱一本ない。小屋組の構造を合理的な洋小屋組にすれば、このように途中の柱を抜いて長大な間を架構することも比較的容易である。