■剣崎浄水場
明治42(1909)年
群馬県高崎市剣崎1317-1
木造
群馬県内最古の上水道設備で、現在も稼働中
■JR東日本上越線井野駅
昭和19(1944)年
群馬県高崎市井野町103
027-361-8404
木造平屋建・厚スレート葺
■(株)日本化薬 高崎工場(旧岩鼻火薬製造所)
明治15(1882)年 縦軸水車①
明治26(1893)年 炭化器②
群馬県高崎市岩鼻町239
027-346-1011
http://www.nipponkayaku.co.jp/
黒色火薬工場③、硝石精製室、混和室、仕上室、圧伸圧延室、火薬倉庫13棟、官宅17棟④、将校倶楽部⑤
※①工場内の動力源で大正時代に電気モータへ転換、記念物として保存されている。
※②フランス製の炭素製造器、記念物として保存
※③煉瓦造平屋、旧第1乾燥室
※④士官用8棟、下士官用9棟
※⑤高崎クラブ
守衛所まで伺いましたが、取り扱いが危険物の為、一般の入門は断られました(ToT)
■クラシエフーズ株式会社新町工場(旧新町屑糸紡績所施設)
明治10(1877)年
群馬県高崎市新町2330
0274-42-1111
初代所長となった佐々木長淳がオーストリアで開催されたウィーン万博(明治6年)を視察した後、スイスの紡績工場で紡績技術を習得して帰国し、基本計画書を作成。ドイツ人技術者のグレーフェンの指導を受けて大工棟梁の山添喜三郎が設計・施工に当たり、紡績器械はスイスから輸入。明治10(1877)年10月に操業を開始したが、明治20年には三井家に払い下げられ新町三越紡績所となり、明治44年に鐘淵紡績(株)に譲渡され、昭和50年まで絹糸紡績の操業を行っていた。その後、カネボウフーズ新町工場を経て、現在はクラシエフーズ新町工場。この紡績工場は、企画から設計・建設に至るまで全て日本人の手で進められ、日本の建築技術自立の記念すべき建物と言われている。現在、構内には紬糸工場の外壁の板張りや小屋組みの骨格が建設当時の状態で現存。また、明治末期の倉庫やボイラー室、機械室など、明治、大正、昭和の各時代の施設も残っている。
1877年 抽糸工場
※木造平屋、官営製糸工場当時のトラス構造が残る
1894年 機械室・汽罐室・製品倉庫
※煉瓦造平屋
1894年 文庫
※煉瓦造2階
1928年 旧倶楽部
※木造平屋、38坪、現在はシルクハウス
1928年 伝英学校
※木造2階、改造大
1928年 女子寄宿舎
※木造2階、女子松寮、213坪(2階:190坪)
現在はカネボウフーズと社名変更されてましたが、こちらも守衛所で断られました(ToT)
■JR高崎線新町駅危険品庫(ランプ小屋)
明治42(1909)年
群馬県高崎市新町2150
煉瓦造・トタン葺、9.9㎡
■(株)東部通信工業(旧高崎絹糸)
昭和14(1939)年
群馬県高崎市大橋町178
洋館と鋸屋根工場
上記社名で検索すると現住所が↓になっている
東部通信工業株式会社
群馬県高崎市上並榎町623
027-322-5475
■(株)研屋倉庫プレカット工場(旧高崎繭糸絹糸)
群馬県高崎市大橋町178
027-322-5144
煉瓦造
藤守湯
群馬県高崎市大橋町9
027-322-7553
営業時間 15:00~22:00
■(株)岡村
明治40(1907)年
群馬県高崎市台町5
煉瓦造
※元は米倉
■旧高崎製糸事務所
群馬県高崎市歌川町
木造
※工場は取り壊された。煙突、事務所が残る
■美峰酒類株式会社倉庫・事務所
昭和16(1941)年
群馬県高崎市歌川町1
027-322-2155
煉瓦造
http://www.mihoshurui.co.jp/index.html
■山田文庫(旧茂木銀行)
明治28(1895)年
群馬県高崎市常盤町25
027-322-2531
煉瓦
http://inkyo.gunmablog.net/e95732.html
高崎市内最古の煉瓦塀、現在は山田文庫(私設図書館)
■(株)岡醤油製造店舗・煙突(大)・煙突(小)・工場・貯蔵倉・土蔵
群馬県高崎市常盤町5
http://www.nihonichi-shoyu.co.jp/shop-takasaki.html
煙突(大)は、1923年の関東大震災後に高さが30mから20mになる
■旧特許事務所
群馬県高崎市赤坂町80
木造二階モルタル、看板建築
■旧十一屋
明治35(1902)年
群馬県高崎市相生町1-4
煉瓦造
http://gpnotebook.gunmablog.net/e117713.html
■浅草湯
大正10(1927)年
群馬県高崎市成田町36-3
営業時間 16:00~22:00
定 休 日 火曜
http://www.wind.ne.jp/asakusau/
■小見家住宅(水村園)新座敷・着物蔵・味噌蔵・新蔵・前蔵・湯殿・レンガ蔵・隠居屋
明治~大正
群馬県高崎市本町
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/ky-bunkazai/bunkazai/bunka/komi.htm
水村園は幕末創業の茶舗で、高崎城下の町割である間口9.6m、奥 行46mの敷地に明治39年(1906)建築の新座敷や着物蔵、味噌蔵、新蔵、前蔵、レンガ蔵、湯殿、隠居屋が棟を接して建てられている。
■支店湯※廃湯
群馬県高崎市本町
http://www.mitsuketa-g.com/tanbou.php?eid=00012
■山田漆工所
明治15(1882)年
群馬県高崎市本町58
土蔵造
本格的な土蔵建築、間口4間半。
■北村洋服店
大正10(1921)年
群馬県高崎市九蔵町8
木造モルタル、看板建築
■斉藤勝彦商店
明治15(1882)年
群馬県高崎市九蔵町9
木造
■日本聖公会高崎聖オーガスチン教会
昭和 3(1928)年
群馬県高崎市山田町8-1
鉄筋コンクリート造平屋建、スレート葺、建築面積158㎡、鐘塔付
高崎市内最古のRC建築。鉄筋コンクリート造平屋建の単廊式教会である。北側道路に面した西端に尖頭アーチの出入口を設ける。交叉部北の角塔形鐘楼は、四隅にバットレスを付ける。屋根はスレート瓦葺。小屋組は木造シザーズ・トラスとする。簡潔な意匠のネオ・ゴシック風教会堂である。
■日本聖公会高崎聖オーガスチン教会(旧聖光幼稚園園舎)
昭和 4(1929)年
群馬県高崎市山田町8-1
木造平屋一部2階建、鉄板葺、建築面積128㎡
聖堂の西に続く桁行15m梁間7.2mの東西棟。木造平屋建の切妻造鉄板葺で西端に寄棟造2階が載る。外壁はモルタル塗ドイツ壁。内部は中央がホール、西に舞台、東に教室を設ける。南側下屋部分、北側玄関と切妻棟は後の増築。昭和初期の幼稚園建築として貴重。
■だるま橋本染工場営業部
昭和15(1940)年
群馬県高崎市九蔵町54
木造モルタル、看板建築
■藤崎惣兵衛商店
大正15(1926)年
群馬県高崎市九蔵町34
027-322-2148
煉瓦造(醤油原料倉庫であったが現在は用品倉庫)
■中央小学校紀元2600年記念碑
昭和15(1940)年
群馬県高崎市常盤町48-1
027-322-3575
RC人大洗出
九州日向市の紀元2600年記念碑のミニチュア(約5m高)
■境内科医院
大正 5(1916)年
群馬県高崎市田町140
木造
高崎市内の医院で3番目の洋館と言われる。現在も医院として使用
■若佐屋酒店
昭和 4(1929)年
群馬県高崎市通町34
木造モルタル、看板建築
■大和湯※廃湯
群馬県高崎市和田町4-4
027‐322-8470
営業時間 15:00~22:00
定 休 日 毎週木曜日
■江木橋湯※廃湯
群馬県高崎市江木町237
027-323-7155
営業時間
定 休 日
■旧靜撚糸工場
群馬県高崎市岩押町2-20-21
■旧金井炭坑坑道跡
昭和 2(1927)年
群馬県高崎市館
■吉田家「和泉庄御殿」
昭和 2(1927)年
群馬県高崎市大橋町
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/ky-bunkazai/bunkazai/bunka/yoshida.htm
商家の接待用家屋を移築したもの。木造2階建入母屋造で2階に出桁庇を付け、外壁を真壁漆喰塗りとする。
■旧下田邸書院及び庭園
江戸時代初期
群馬県高崎市西明屋内出702-1
書院は平屋造、板葺、切り妻、12畳半と10畳の2部屋で構成されている。土豪下田氏の屋敷。簡素な数奇屋式建築で、柱や長押には面皮(丸太の四方を落として皮肌を面として残した材)が使われ、リスとブドウの欄間に江戸初期の特色がみられる。庭園は江戸初期(元禄期)の武家風庭園で、単純な石組みを配した城郭式の深掘りの池があり、その中心部に蓬莱島または亀島と呼ばれる島を設けている。
■水琴亭
昭和10(1935)年
群馬県高崎市吉井町岩崎2229
昭和10年(1935)、東京井の頭に香道家吉田露香邸として建築され、平成2年(1990)に移築された。数奇屋建築の大家である仰木魯堂の設計になる、数少ない現存作品である。
■一宮家住宅(般若坊)主屋・長屋門
江戸時代後期
群馬県高崎市榛名山町164
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/ky-bunkazai/bunkazai/bunka/harunajin.htm#hannya
本宿坊は一宮家の住居及び宿坊であり、明和元年(1764)の榛名神社社家町の大火後の建築とされる。また、長屋門は寛政11年(1799)以前の建築と推定される。宿坊は、表通りの門に近い位置に式台があり、高貴な客を迎えるための玄関も備えていた。式台は広縁に改造されているが、玄関から裏上段の間は創建当時の状態をよく残している。また、長屋門は、門番の居住する部屋や炊事用の土間も兼ね備えていた。
■門倉家住宅(善徳坊)主屋
江戸時代中期
群馬県高崎市榛名山町176
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/ky-bunkazai/bunkazai/bunka/harunajin.htm#zentoku
善徳坊は住宅を兼ねる宿坊で、古くから「榛名講」に関する古文書に数多く見られる。参道に西面して建ち、間口6間半、奥行4間半の切妻造鉄板瓦坊葺の建物で、平入りで正面中央に式台玄関を備える。間取りや、柱間間隔、トコの奥行きが浅いこと、全体の規模等から、江時代中期の建築と推定される。屋根は板葺きから鉄板葺きに改造されているが、創建当初の姿を良くとどめている。
■鐸木家住宅(本坊)宿坊・門
江戸時代中期
群馬県高崎市榛名山町231
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/ky-bunkazai/bunkazai/bunka/harunajin.htm#honbou
江戸時代中期の建築と推定される。西側を正面とした桁行12間、梁間6間半の大型の宿坊である。また、上段の間には付け書院、トコ、違い棚を設けていることから武家の利用があった可能性もある。門は欅材を用いた薬医門の形式であり、宿坊と同時期に建築されたと推定される。
■上豊岡の茶屋本陣
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/ky-bunkazai/bunkazai/bunka/chaya.htm
■洗心亭
大正時代
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/ky-bunkazai/bunkazai/bunka/sensi.htm
■上信電鉄01「高崎駅」※改装済
明治30(1897)年
群馬県高崎市八島町235
■上信電鉄02「南高崎駅」(旧下和田駅)
昭和10(1935)年
群馬県高崎市下和田町3
■上信電鉄03「根小屋駅」
大正15(1926)年
群馬県高崎市根小屋町
■上信電鉄04「高崎商科大学前駅」
平成14(2002)年
■上信電鉄05「山名駅」
明治30(1897)年
群馬県高崎市山名町1515-3
■上信電鉄06「西山名駅」※改装済
昭和5(1930)年
群馬県高崎市山名町1261-2
■上信電鉄07「馬庭駅」
明治30(1897)年
群馬県高崎市吉井町馬庭191-1
■上信電鉄08「吉井駅」
明治30(1897)年
群馬県高崎市吉井町吉井219
■上信電鉄09「西吉井駅」
昭和46(1971)年
群馬県高崎市吉井町長根1367-34
→【群馬県】甘楽郡⇒上信電鉄10「上州新屋駅」
■脇田歯科医院(旧芸者置屋)※解体
群馬県高崎市柳川町72
027-322-5859
木造二階
※昭和26年~脇田歯科医院
※2010.12.28 地元の方に聞いて建替え済み確認
■JR東日本信越線北高崎駅※解体
明治37(1904)年
群馬県高崎市大橋町70
027-322-3179
※2001年解体消滅、駅舎が新築される
■高崎倉庫飯塚倉庫※解体
大正 2(1913)年
群馬県高崎市大橋町60
煉瓦造(3棟)
※木骨煉瓦造、煉瓦はカーテンウォール、妻入りと平入りの2種類。解体済み
■JR東日本信越線群馬八幡駅※解体
大正13(1924)年
群馬県高崎市八幡町284
027-343-2901
木造平屋建・厚スレート葺
※2004年に解体消滅、駅舎が新築される
■日本製粉高崎工場(旧東洋製粉高崎工場)※解体
大正 7(1918)年
高崎市下和田町4-1-16
木造6階