◆京都の住民がガイドする京都のまち歩きイベント「まいまい京都」さん
2012年5月6日(日) 10:00~12:00
『【花街】祇園町のよこ道・裏みち~お稽古路地から縁切り神社、石塀小路まで~』にて
■京阪電気鉄道「三条駅」※待ち合わせ
大正元(1912)年 京津電気軌道「三条大橋駅」開業
大正 4(1915)年 京阪電気鉄道「三条駅」開業
平成 9(1997)年 地下化
京都府京都市東山区五軒町
⇒縄手通
五条と七条の間、本来の大和大路、京都市東山区大和大路通(やまとおおじどおり)は、京都市の南北の通りの一つ。北は三条から南は泉涌寺道(一橋小学校の南側の道)まで。かつての大和街道の一部にあたる。四条以北は縄手通(縄手=鴨川の土手)と呼ばれる。http://www.gion-nawate.com/map/map.html
⇒新門前通
⇒お稽古路地
⇒新橋通
⇒「かにかくに」の碑(白川)
昭和30年、吉井勇、谷崎潤一郎らによって建立された。歌碑に刻まれている歌は、吉井勇の作。この歌は、祇園の思いを詠んだもので石川啄木らと編集を担当した「スバル」にて他の祇園を詠んだ歌とともに発表された。
かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも
枕のしたを水のながるる
■吉井勇(よしい いさむ)
明治19(1886)年10月8日~昭和35(1960)年11月19日
大正・昭和期の歌人、脚本家。爵位は伯爵。鹿児島藩士吉井友実の孫として伯爵家に生まれる。政治経済科中退。新詩社に入社。北原白秋、木下杢太郎とともに「パンの会」を結成。第一歌集は酒や女に関した「酒ほがひ」。その他「午後三時」、「水荘記」、「蝦蟆鉄拐」等…沢山の著書がある。晩年は、爵位を返上し隠居、北白川周辺に住み祇園に通ったといわれている。
「いのち短し 恋せよおとめ
赤き唇あせぬ間に
熱き血潮の冷えぬ間に
明日の月日はないものを
いのち短し 恋せよおとめ
いざ手を取りて彼(か)の船に
いざ萌ゆる頬をきみが頬に
ここにはだれも来ぬものを
いのち短し 恋せよ少女
波に漂(ただよ)う 舟の様(よ)に
君が柔手(やわて)を 我が肩に
ここには人目も 無いものを
いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを」
「珈琲の濃きむらさきの一碗を啜りてわれら静こころなし」
「かく大き愛のすがたをいまだ見ず、この群像に涙しながる」
「京の夜や遊びのはての寂しさをかたるがごとき宗達の幅」
「京に来ぬ 山紫水明処といへるその家の名をなつかしみつつ」