◆京都の住民がガイドする京都のまち歩きイベント「まいまい京都」さん
2012年5月6日(日) 10:00~12:00
『【花街】祇園町のよこ道・裏みち~お稽古路地から縁切り神社、石塀小路まで~』にて
■安井金比羅宮
元禄8(1695)年
京都府京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70
http://www.yasui-konpiragu.or.jp/
主祭神 崇徳天皇、大物主神、源頼政
形代と呼ばれるお札に願い事を書き、境内にある「縁切り縁結び碑(いし)」を表から裏へとくぐって悪縁を切り、次に裏から表にくぐって良縁を願う。
■金比羅絵馬館
開館時間 10:00~16:00
入 館 料 大人500円/高校生以下400円/幼児無料
休 館 日 月曜日(祝日の時は翌日)盆・年末
所要時間 約30分
■ガラスの部屋
開館時間 10:00~16:00
入 館 料 絵馬館と共通
休 館 日 月曜日(祝日の時は翌日)盆・年末
所要時間 約10分
19世紀のアール・ヌーボ(エミール・ガレ、ナンシー・ドーム)デコ(ルネ・ラリック)パート・ドベール(アマリック・ワルター、アルジー・ルソー)等の小品がユニークな配置で展示されている。なかでも圧巻は3m×4mのガラスの床を透かして見る現代アメリカの工芸作家デイル・チフーリの大作「海の神」(この部屋のために製作されたもの)。
Dale Chihuly (デイル・チフーリ)Home Pagehttp://www.chihuly.com/
■月見町
京都府京都市東山区東大路松原上る5丁目月見町
◆下河原
明治19(1886)年、祇園甲部に合併
地名の由来は八坂神社周辺に川が流れていたと推測される。江戸時代初期、豊臣秀吉の正室である高台院がこの地に高台寺を建立。それに伴って連れてきた芸人が住み着いたのが、後の花街の始まりといわれる。下河原の芸妓は「山根子芸者(やまねこげいしゃ)」と呼ばれ、当時祇園などにいた「茶屋女」とは違い、遊女めいたところがなく、芸に優れていて人々を魅了した。傾城町(公許花街)嶋原の管下として渡世(免許)が許され、栄え続けた。師匠をむかえ京舞井上流を街の流儀としたのは「祇園新地」(後の祇園甲部・祇園東)よりもこちらが先である。明治を迎え、日本最初の博覧会の附博覧として祇園の『都をどり』と共に『東山をどり』が上演されたが(ここに古くからあった「まくづ踊」という伊勢音頭に似た総踊を元としたものという)衰退の一途をたどり、1886年(明治19年)、祇園甲部に合併され、消滅した。現在、花街としての面影は残っていないが、お茶屋の鑑札プレートを掲げている民家が数件存在している。