■墨染寺(ぼくせんじ)
貞観16(874)年
京都府京都市伏見区墨染町741
075-642-2675
※2012.05.20撮影
◆墨染
明治44(1911)年 消滅。
墨染の地名は、日蓮宗「墨染寺」という寺院に由来する。この地は京街道、奈良街道、伏見街道が交差し、宿場町として栄えた。この事もあり、元禄12(1699)年、茶屋株(お茶屋の営業権)が墨染の南部(現在のインクライン『琵琶湖疏水』の伏見新放水路の西側)で許可される。そこから『撞木町(しゅもくちょう)』の花街が生まれ、忠臣蔵でおなじみの大石内蔵助大石良雄もここの廓でも遊んだ伝説が語り継がれている。天保の改革による取締りを受け、茶点女(ちゃたておんな、茶店で接待する女性)や飯盛女(めしもりおんな、旅籠で接待し売春をする娼婦のこと)を抱えることを禁じられたが、すぐに再開された。明治11(1878)年、芸妓3名、娼妓11名の存在が確認されている。しかし、花街としての墨染は衰退していくようになり、明治44(1911)年頃、前年の明治43(1910)年に開通した京阪電車によって客足がなくなり、大正時代に入り自然消滅した(現在は大正時に建立された記念碑と門柱が現存)。※墨染遊郭の名前は無い。
※田中泰彦編集『京都遊廓見聞録』京を語る会発行、1993年(平成5年)