※実際に確認できてない、もしくは写真が撮れていない場所
■淮田土地住宅㈱
大正14(1925)年
兵庫県加古川市加古川町篠原町81-1
079-422-3685
■旧神野郵便局
大正14(1925)年
兵庫県加古川市神野町石守中芝1041-1(現郵便局の住所)
■旧陸軍航空通信学校 尾上教育隊兵舎跡
昭和19(1944)年
兵庫県加古川市尾上町 浜の宮公圃内
松林の中に大きな木造兵舎が並んで、約1500人の兵士が駐屯していた。戦後、1947年に浜の宮中学校に校舎として払い下げられ、その後1950年代には取り壊され、現在は、浜の宮公圃内に兵舎跡のコンクリート基礎が残る
■ハリマ化成加古川製造所(旧陸軍航空通信学校加古川教育隊正門)
昭和19(1944)年
兵庫県加古川市野口町水足671-4
079-422-3301
1938年に陸軍の高射砲連隊を設置。1944年に航空通信学校加古川教育隊を開設。高さ5mの門柱を特つ正門が残る。現在は、ハリマ化成加古川製造所。戦後、製造所内に部隊ゆかりの「加古桜」を植栽し記念碑が建てられている
■旧陸軍加古川飛行場(尾上飛行場)跡
昭和16(1941)年
兵庫県加古川市尾上町池田
浜の宮公圃の南側周辺。関西防空の要として500m~1500mの滑走路が5本あり、パイロット養成の教育隊として活用された。1941年に、加古川対岸の三菱製紙高砂工場の60mの煙突を離着陸の妨げとして高さをカット。終戦間際には、関東方面から九州に向う特攻機の中継地となった。工場の煙突は、戦後1967年に継ぎ足された(50m、ビール瓶型)
■加古川刑務所(旧犬阪陸軍航空袖給所神野出張所 神野弾薬庫)
昭和12(1937)年
兵庫県加古川市加古川町大野1530
079-424-3441
航空機用の爆弾を製造保管。現在は加古川刑務所。当時、構内の弾薬庫は爆発時の披害防御のための高い土塁で囲われて、爆弾を掲載した軍用トロッコが煩瑣に出人りした幅2m、高さ2.5mのコンクリート製トンネルが2本残っている
■旧陸軍神野弾薬庫軍用引込線
昭和12(1937)年
兵庫県加古川市野口町水足
弾薬や兵士を運ぶ軍用引込線が省線加古川線に繋がっていた。幅3mの用水路にか架かる橋が残る。分厚い頑丈な鋼鉄製の補強がされている
■大蔵家住宅
兵庫県加古川市
■本岡家住宅
元禄7(1694)年
兵庫県加古川市東神吉町天下原715-5
■名庭園料亭「みとろ苑」(旧大西家住宅)
大正9(1920)年頃
兵庫県加古川市上荘町見土呂375-1
079(428)2323
■淡河川山田川疏水(淡山疎水)平木橋
大正4(1915)年
兵庫県加古川市
■淡河川山田川疏水(淡山疎水)練部屋分水所
明治24(1891)年
兵庫県加古川市
■淡河川山田川疏水(淡山疎水)サイフォ遺構
大正8(1919)年
兵庫県加古川市
■雁戸井用水 サイフォンと土塁
大正元(1912)年
兵庫県加古川市
■旧別府港防波堤灯台
昭和11(1936)年
兵庫県加古川市
■別府鉄道の橋梁と車両
昭和6(1931)年
兵庫県加古川市
■宝殿~加古川間の日本毛織専用線
大正9(1920)年
兵庫県加古川市
■加古川橋
大正13(1924)年
兵庫県加古川市
■稲屋逆水樋
大正13(1924)年
兵庫県加古川市