※実際に確認できてない、もしくは写真が撮れていない場所
■高島屋東別館(旧松阪屋大阪店)
昭和 9(1920)年
昭和12(1937)年
大阪府大阪市浪速区日本橋3-5-25
鈴木禎次(鈴木建築事務所)/竹中工務店
RC造り7階建て
■フジ医療器(旧三和銀行恵美須支店)※解体
昭和13(1938)年
大阪府大阪市浪速区日本橋5-5-21
三和銀行建築係/藤木工務店
■新世界公楽劇場※解体
昭和22(1947)年
大阪市浪速区恵美須東2
邦画名画座だったが、成人映画館の「新世界シネマ」となった後閉館。
■新世界公楽シネマ※解体
公楽劇場同様に邦画名画座から成人映画館「新世界ローズ」を経て閉館した。
■新世界座※解体
■新世界グランド劇場※解体
吉本興業が新世界で唯一経営していた劇場。晩年は成人映画館だった。閉館して10数年経つが外壁など一部が残っている。
■新世界大映※解体
■温泉映画劇場※解体
ジャンジャン横丁にあったストリップショウの「温泉劇場」に併設していた。成人映画館だったが1981年に閉館。87年に3階建てのビルとなり新装開館。邦画名画座「新世界温劇」と成人映画館「温劇シネマ」に生まれ変わった。「新世界温劇」では主に日活映画を上映していた。90年に再び閉館。
■新花月※解体
「温泉劇場」(通称「温劇」)に併設していた演芸場。当初「温泉演芸場」の名で開場。当初の経営者は矢野興行部。新生プロダクションが芸人を配給していたが、1957年6月に漫談家の花月亭九里丸が古巣の吉本興業会長・林正之助に掛け合って「新花月」の名に改名させた。このため、新花月と名乗ってはいたが、芸人の配給や番組編成は新生プロ(のち合併して松竹新演芸から松竹芸能)が行っていた。当初は花月亭九里丸を中心に浮世亭歌楽・ミナミサザエ、浮世亭夢丸・吾妻ひな子、芦乃家雁玉・林田十郎・秋山右楽・左楽、かしまし娘等が出演していたが、1958年5月に道頓堀角座が開場すると看板芸人、ベテランは角座に出演するようになった。新世界といった立地条件から客層が悪いことで知られ、罵声や野次が耐えなかった。このためこの劇場の客は大阪一厳しい客といわれ、ゆえに松竹芸能はこの小屋を角座や神戸松竹座に出演する芸人達の養成施設と捉えた。したがってプログラムも若手中心となり、後年松竹芸能の看板となった芸人の殆どは新人時代この小屋に出演し、鍛えられていた。また現在活躍する松竹所属以外の芸人の中にも、ここで修行を積んだ者は多い。なお年に数回女流大会が行なわれていた。
1968年に火事で一部消失。1981年に一度閉館。1987年に再開場するも1988年9月に完全閉館となった。演芸興行の客入りは悪かったが、週末に行った「演歌祭り」が好評で、これが現在の通天閣劇場TENGEKIに繋がっている。
■朝日劇場
大阪府大阪市浪速区恵美須東2-1-26
06-6633-4553大衆演劇を上演する劇場。新世界日活同様、橋本土地興行が経営。映画館が少なくなった新世界の核的存在ともいえる大衆演劇の殿堂。
http://www.hashimototochi.co.jp/
■新世界ヌード劇場※解体
大阪府大阪市浪速区恵比寿東2-1-29
ストリップ劇場。朝日劇場の横にあった。
■浪速クラブ
大阪府大阪市浪速区恵美須東1-3-7
06-6632-2629
大衆演劇を上演。朝日劇場と違い「芝居小屋」の雰囲気が残る。
■STUDIO210
大阪府大阪市浪速区恵美須東1-18-6
06-6643-5350
通天閣観光所有の多目的ホール。通天閣地下に所在。松竹芸能の主催で、毎週土曜日及び日曜日に「通天閣劇場TENGEKI」の名称で演芸興行が、毎週月曜日に「通天閣歌謡劇場」の名称で演歌主体の歌謡ショーが、それぞれ開催されている。大映封切館だったが、他館同様、最後は邦画名画座となり閉館。現在は宮原書店が入居している。外壁など建物の一部が残っている。先述した2館を経営していた公楽興行の拠点館。劇場の屋根に「新世界座」の文字が大きく記されていたため、通天閣の展望台からもよく目立った。先述2館の閉館後、「新世界公楽劇場」と改称。2階席まである映画全盛期を彷彿させる映画館だったが、老朽化に勝てず閉館。